即席ですが・・

七五三の時に晴れ着を着た時、まるで舞妓さんみたいってみんなに褒められて
すっかりご機嫌だったミコ。
その時の印象が強かったのでしょうか、成長してからも舞妓さんになりたいなんて
冗談半分、本気半分で言うこともありました。
そんなに簡単なことじゃないからって、一笑に付したけれど
案外本気で言っていたようにも思います。
そのことがあったのが私の中にも残っていたのかもしれません、
いつか、ミコに舞妓さんの姿をさせてやりたい、させてみたいと思うようになっていました。

今は一万円ほどで、すっかり化粧やお支度をしてくれ
写真まで撮ってくれるところがあるときき、
今回の旅行、これは絶好のチャンスとばかり、
お母さんがスポンサーになるからともちかけると、ミコもそれならとのってきました。
自分で着物も選び、すっかり支度も出来上がった姿で待っていたミコをみて、
やっぱりよく似合う。
親ばかなのは重々承知のうえだけれど、そう思いました。
f0231393_18505624.jpg

ミコの曾祖母、寅さんのお父さんの母親は京都の人でした。
慣れない東京で身体をこわし、なくなったのは義父がまだ15歳の時。
それまでは義父達きょうだいも毎年夏休みになると
母親の実家の京都に長逗留したと、よく思い出話をしてくれたものです。
二条のあたりにその家はあったというのですが
大戦の頃にはもう母はなく、戦争のどさくさのなか母親の実家とはそのまま疎遠になり
亀山の方へ越したらしいという消息は、つい先日病気入院中の伯母からきいたばかり。
今は幻となってしまったような京都の曾祖母、
でもミコにもその血は間違いなく流れているのでしょう、
一人旅や、友達と一緒の旅で、何度も京都を訪れているミコ、
なんとなく町にすんなり馴染むような気がするのも、あながち思い込みばかりでもなさそうです。
どちらかといえば、派手なメイクは映えない顔立ちのミコ、
生まれる時代を間違えたよね、と笑いながら言うのです。



f0231393_18461282.jpg

私の母も私に「十七島田」を結わせたいとよく言っていました。
私が17歳になる頃から、しばしばそう口にしていたものの、
そんな髪を結ってくれるところがなかったらしく、
私もその「十七島田」なるものがどんな髪型なのかもわからぬまま、18になり、19になり、
そしていつか母も「十七島田」と口にしなくなっていました。
「十七島田」ではないけれど、
ミコのこんな姿をみていたら、なんて言っていたでしょう。

そしてこの日、私が京都に発つ前、
いつものようにお仏壇の前に座って朝のお参りをする時
17日の過去帳を開くと、そこには前述のミコの曾祖母、愛子さんの名が記されていました。
そうか、今日は愛子さんの月命日だった。
偶然とはいいながら、何かみんなが
この日のミコを待っていてくれたような気がしました。

f0231393_22255847.jpg
それにしても、あの炎天下、
即席舞妓さんとともに、小一時間、
ねねの道界隈を散策、
暑かった・・
by sarakosara | 2010-08-20 23:48 |
<< 京の夕空夏の色 追いかけて京都 >>