立冬の北陸 日本一短い母への手紙

東尋坊をあとに向かったのは永平寺。
その道すがら、バスの中からご覧くだいと
とまったところは、丸岡城。
降りられなかったのは残念だけれど
ちょうど桜の葉が色づき、春の桜の頃はさぞやと思います。

f0231393_16365531.jpg

丸岡城といえば、ん?という人も
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
の短い手紙は知っているのではないでしょうか。
丸岡藩の藩祖といえる本多重次
別名鬼作左と言われていた勇猛な武士が
長篠の戦いの時、留守を預かる妻にあて
妻や子を心配して送った簡潔な中にも愛情のこもった手紙ということで
このお仙が、のちの越前丸岡初代藩主・本多成重だということです。

これにちなんで
丸岡町では、「一筆啓上賞」と題して
日本で一番短い手紙文を再現しようと作品を募集しているのだそうです。
毎回テーマはあるそうで、今は新一筆啓上賞かな。
以前文庫本を買った記憶があるのですが
どこかみつからなくなってしたので
今回丸岡町編集のこの一冊を旅の思い出に買ってきました。

f0231393_17295134.jpg


母への愛情あふれる想いばかりではなく
チクリと胸の痛むものもある。
百人いれば、百人の母への手紙があると思う。

お母さん、私は大きくなったら家にいる。
「お帰り。」と言って子供と遊んでやるんだよ。


と書いたのは、9歳の女の子。
学校の先生をしている母親は毎日仕事で帰りが遅く
休みの日も忙しくて寂しいのだそうです。
そういえば、私も同じことを母親に言ったことがあったなと思い出しました。

今でも弟のほうが気になるかい。
もうどちらでもいいけど。
今はもういいけど。

                                               44歳の男性



お母さん
ぼくの机の引き出しの中にできた湖を
のぞかないでください。

                                                11歳の男の子



おかあさんの おならをした後の
「どうもあらへん」という言葉が
私の今の支えです。
                                    
                                                  30歳女性



今朝、階段の下から
私を呼ぶお母さんの夢をみました。
元気ですか。
                
                                                  28歳女性

賞もとっていないこの作品だけれど
この文章、なぜか鼻の奥がつんとしました。


私の母が亡くなった時
もう30年以上前のことですが
仕事に使っていたハンドバックから
私の書いた手紙が一通出てきました。

そこに書かれていたのは
私から母への抗議の手紙。
母が留守のあいだ、父と祖母との諍いのあいだにはいって
仲を取り持つことに苦慮していることに対しての
抗議の手紙でした。

母への感謝の手紙は
母の日など、それまでいっぱい書いていたのに
よりによって、いつも持ち歩いていたのは抗議の一通。

その手紙が出てくるとは思ってもいなくて、
遺品の整理の時に、愕然としたことを憶えています。
母が何を思い、毎日持ち歩くハンドバックに
その手紙を入れていたのか、
今となっては知る由もありません。
でも母としては、娘にすまないと思う気持ちを忘れずにいようと
その一通を持ち歩いていたように思われてなりません。

母への手紙。
ひとひとりの深い想いがこもったもの。
そして受け取る人にも
特別な一通なのだと思います。
by sarakosara | 2015-03-01 22:46 |
<< 立冬の北陸  越前竹人形 立冬の北陸 東尋坊 >>