お盆に想う
2015年 08月 15日
13日からはお盆休みに入りました。
まずは仏壇のお盆の準備。
寅さんの両親のお仏壇、私の両親のお仏壇、
我が家は仏壇が二基あるので
その準備だけでもひと仕事です。
一階の父の台所に立つと
隣の貸し農園の緑がみえて気持ちいい。
帰省という経験は一度もない私だけれど
ここに立つと父もこんな景色をみながら酒の肴を作っていたのだろうと
父の目線が重なって
実家にもどったような気がする。
準備が整って夕方は迎え火。
昨日はお寺さんがみえてお盆経。
寅さんの両親のお墓は霊園で、菩提寺がないけれど
葬儀の時に縁したお寺さんが地元にあって
年に一度お盆経に来てくださる。
先代のお父さまは種子島出身、小柄で細くてお酒の強い方だった。
お父さま亡き後をついだ息子さんは
大柄で恰幅がよく、お酒はたしなまず、甘いものが好き。
対照的な二人だけれど
種子島の気質なのだろうか、どちらも大らかで癒し系の人柄だ。
父も、先代の御住職も健在だったころは
法事の後など
お酒好きな二人意気投合して話に花が咲くこともあった。
今日は70回目の終戦の日。
父も義父も終戦の時は23歳。
今のスマよりも若いのだ。
先代住職もまたそんな貴重な青春時代を
戦争のただ中に過ごしてきたのだろう。
父は肋膜の病み上がりで丙種合格。
北海道から千葉に派兵され塹壕掘りばかりしていたという。
いっぽう義父は学徒出陣で大陸に行き
ほんとうに悲惨な光景を目の当たりにしてきたという。
二人とも戦時中のことはあまり語りたがらなかった。
今朝の新聞に「あの夏」と題して
梅原猛氏のインタビューが載っていた。
死を覚悟して
負けるに違いない戦いで
なぜ死ななければならないのか
死が確実ならせめて意味をみつけたくて
必死で死の理由を探していたという。
父や義父の心情はどうだったのだろうか。
父は9条を守る会に入っていたのを死後に知った。
憲法のことは私の浅い知識で語ることはできないけれど
父の一番の思いは、
二度と戦争は起こさないでほしいということだったろうと思う。
戦争は殺人が正当化されるところ、
狂気が狂気をよぶところ。
梅原氏が最後に、
今、昭和10年頃と似た、一種、戦争を肯定するような風潮、空気を感じる。
自衛に徹するのが日本の守るべき伝統だ。
この平和がわずか70年ではなく、もっともっと長く続いてほしい。
と語っていた。
私も切にそう思う。