カテゴリ:思い出小箱( 28 )

冬のうた

ブルーとベージュのモヘアの混ざり毛糸で
もふもふに織り上げたような
立冬の朝の空。

冬がやってきた。

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そして、今年もじゅんさんのりんごが届いた。
冬が始まる合図のように
津軽からの便りのように
箱を開くと甘ずっぱい香りがいっぱいにひろがる。

赤と緑、可愛いりんご。
クリスマスカラーだなって思い
今日、リビングにもささやかなクリスマスのしつらえをした。

じゅんさん、ご家族で丹精されたりんごを
毎年ありがとう。
じじ、ばば達のお仏壇にもお供えしました。

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冬が来るとユーミンの 季節ごとの歌をまとめたアルバム
SEASONS COLOURSも
秋から冬の撰曲集に変えて聴き始める。

この中の曲、「木枯らしのダイアリー」は
自分の思い出とも重なる曲。


今朝窓を開けたら息が白くなった
あなたのいない初めての冬が空を覆った
眠っている間に

電車を乗り越して 休みにしてしまった
オーバーを着て 一日気ままに街を歩く
思い出と腕をくみ


若かった頃恋人と喧嘩して
泣き明かしてしまった翌日
仕事に行く電車の中
気持ちも立て直せないし
ひどい顔をして出勤したくなくて
会社をさぼってしまったことがあった。
そんなことをしたのは初めてだったけれど
明るい朝の景色が流れる電車の窓を
ぼんやりと見ていたことだけはよくおぼえている。

この歌の主人公のように
気ままに街を歩くなんてかっこいいことはできず
早々に家に戻り
祖母にも具合が悪くて帰ってきたと嘘をついて
会社にも祖母にも後ろめたかった。

若かったなぁと、この曲を聴くと思い出す。
昔むかしの冬の思い出。











by sarakosara | 2016-12-11 16:45 | 思い出小箱

寒露の夜

昨日のM子ねえちゃんの来宅、
私はもう10年ぶりくらいだと思い込んでいたのだが
なんと、父が亡くなった年に来ているという。

寅さんは、言われて思い出したらしく
そういえばと、その時の話をしだしたので、M子姉の思い違いではない。
それどころか、おでんを作ってくれたとか
スマ君はいたけれど、ミコちゃんは旅行中だったとか。
しかしそのひとつひとつ、いくら記憶の糸をたどっても
いっさい思い出さない。
自分大丈夫か?と思ったけれど
なにかそのあたり、
気持ちがバタバタと落ち着いていなかったせいなのだろうか。


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両親の仏壇にお菓子をお供えしてくださり
お線香をあげたあとにそこに座ったまま
「昔あなたの家に行った頃ね
おじさんは悪い人だと思ってたのよ。
ほら、おばあちゃんとおじさん、色々あったじゃない?」
父と祖母の不仲はM子姉も色々知っている。

とはいえ、父の仏壇の前でそんな話をいきなりしはじめて
私もちょっとムキになって
父の弁護をした。
「それでも、その後母がなくなって、
私が結婚してからみんなで同居するまでの数年
父と祖母はいつしか寄り添うようになり
年老いた祖母を父はよく面倒みたと思う。
祖母もそんな父を頼りにしていた」

うん、そうだよね。
叔母さんが亡くなるのは早すぎたけれど
あの時間があってよかったのかもね。
M子姉は、そのこともちゃんと知っていた。

M子姉のお母さんの話にもなった。
晩年こそ介護が必要になったけれど
ずっと小学校の先生を勤め上げ、その後も華道の先生として
生徒さんを教え、いつもしゃんとした人だった。

その伯母がまだ現役で元気な頃の
気性の激しさを物語るささやかなエピソードの数々
それをを初めてきいて驚いた。

やはり、増毛のY田家の血筋は争えないと
祖母達姉妹の激しさとともに
その子らも一様にみな気性が激しかったようだねと
そんな話にもなった。
いや、実はM子姉にもその片鱗はみられる。

「鰊場育ち」歌うのが上手いのよ。
こんどカラオケいこうね〜と
お持たせのワインですっかりいい気分。
同い歳の寅さんとの時代話も大盛り上がり。
時代、国、結婚。
世界中歩いてきたM子ねえちゃんならではの話もきけた。

今は自動翻訳機があって
それで仕事が減ったらしい。
「けっこう精巧な翻訳機が出てきて、うまいこと訳しちゃうのよ。
ほら、私は恋愛話を翻訳しているわけじゃないからさ
それで十分なんだって」
コスト削減のほうが重要らしい。

「でもね、スーパーで働いて思ったの。
人と会って話すことって新鮮で楽しいって。
怒られたってぜんぜん嫌にならないよ、不思議と」

今や生活がかかって働いているわけじゃないから
暢気なことを言ってるだけかもしれないけど
数年前、ここ二三日、誰とも話してなくて
なんて突然電話があったことを思えば
なんだか楽しそうで、よかったなと思う。

帰りがけ、大切そうに新聞にくるんだ包みをあけて
よかったらもらってくれる?と
焼き物の花瓶をプレゼントしてくれた。



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趣味の陶芸で作ったのだという。
めったに人にはあげないのだけど
大切にしてくれそうな人にだけ貰ってもらうのだという。

どんな花にもよく似合いそうな
ぽったりと可愛くて味わいのある焼き物だ
いちばんにどの花をかざろう。



by sarakosara | 2016-10-10 17:18 | 思い出小箱

風の匂い

父が亡くなってから、
母との距離が少し遠くなって
何かあるときは、父の顔が先に浮かぶようになった。
もう35年の時が経つのだから
それが自然なことだろう。

それでもやはり6月がくると
季節の空気から母をとても近くに感じ
胸が少し疼くような
いっぽうで、甘やかな気持ちがよみがえる。

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紫陽花がいっぱいに咲くとき。
枇杷の実が実る頃
梅雨間近の少し湿った風がふき
一年でいちばん日の長い季節
明るい夕方。

大好きだったお茶と
冷たい水とメロンでこの日を迎える。

一年一年、
思い出の中の母は私より若くなっていく。
by sarakosara | 2016-06-04 17:15 | 思い出小箱

お盆に想う

12日は午後休をとって寅さんの両親のお墓参り。
13日からはお盆休みに入りました。
まずは仏壇のお盆の準備。
寅さんの両親のお仏壇、私の両親のお仏壇、
我が家は仏壇が二基あるので
その準備だけでもひと仕事です。

一階の父の台所に立つと
隣の貸し農園の緑がみえて気持ちいい。
帰省という経験は一度もない私だけれど
ここに立つと父もこんな景色をみながら酒の肴を作っていたのだろうと
父の目線が重なって
実家にもどったような気がする。

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準備が整って夕方は迎え火。

昨日はお寺さんがみえてお盆経。
寅さんの両親のお墓は霊園で、菩提寺がないけれど
葬儀の時に縁したお寺さんが地元にあって
年に一度お盆経に来てくださる。

先代のお父さまは種子島出身、小柄で細くてお酒の強い方だった。
お父さま亡き後をついだ息子さんは
大柄で恰幅がよく、お酒はたしなまず、甘いものが好き。
対照的な二人だけれど
種子島の気質なのだろうか、どちらも大らかで癒し系の人柄だ。


父も、先代の御住職も健在だったころは
法事の後など
お酒好きな二人意気投合して話に花が咲くこともあった。

今日は70回目の終戦の日。
父も義父も終戦の時は23歳。
今のスマよりも若いのだ。
先代住職もまたそんな貴重な青春時代を
戦争のただ中に過ごしてきたのだろう。

父は肋膜の病み上がりで丙種合格。
北海道から千葉に派兵され塹壕掘りばかりしていたという。
いっぽう義父は学徒出陣で大陸に行き
ほんとうに悲惨な光景を目の当たりにしてきたという。
二人とも戦時中のことはあまり語りたがらなかった。

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今朝の新聞に「あの夏」と題して
梅原猛氏のインタビューが載っていた。

死を覚悟して
負けるに違いない戦いで
なぜ死ななければならないのか
死が確実ならせめて意味をみつけたくて
必死で死の理由を探していたという。

父や義父の心情はどうだったのだろうか。
父は9条を守る会に入っていたのを死後に知った。
憲法のことは私の浅い知識で語ることはできないけれど
父の一番の思いは、
二度と戦争は起こさないでほしいということだったろうと思う。
戦争は殺人が正当化されるところ、
狂気が狂気をよぶところ。

梅原氏が最後に、
今、昭和10年頃と似た、一種、戦争を肯定するような風潮、空気を感じる。
自衛に徹するのが日本の守るべき伝統だ。
この平和がわずか70年ではなく、もっともっと長く続いてほしい。
と語っていた。
私も切にそう思う。
by sarakosara | 2015-08-15 17:35 | 思い出小箱

天使

数年ぶりにクリスマスツリーをかざった。
子どもたちが小さな頃は毎年12月1日に飾るのが恒例だった。
しだいにそれを楽しみにする小さな子はいなくなり
一緒に楽しみにしてくれていた義母もなくなり。
飾るのも片付けるのも私
やがて面倒になり、それどころじゃない年もあり。

それがなんだか今年はクリスマスツリーを出そう。
ふつふつとそんな気持ちがわいて
そうなったら楽しみで
帰ってきた時に驚かせようと思い
家族に内緒でいっきに飾った。

いちばん喜んでくれたのは寅さん。
灯りをともして夕食時。
「やっぱりいいねぇ」
うん、いいでしょう。久しぶりだものね。

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ここに飾った小さな天使は
私が子どもの頃に祖母に買ってもらった
50年ものあいだ、ツリーを飾ってきたもの。
けしてハイカラでも裕福でもない家だったけれど
ここには、祖母の想いがこめられていたのかもしれない。

北海道の静内で農業指導員をしていた祖父は
クリスチャンだったようだ。
母が12歳の時になくなっているので
私は会ったことも無い祖父。
祖母の昔語りでは
ほんとうに農業指導に熱心で温厚な人だったという。

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母はそんな祖父母のもとに引き取られた養女だったが
きめ細やかな愛情をそそがれ育った。
子どものときのクリスマスは
祖父がサンタの役になり、友達を呼んで
クリスマス会をしたという。

聖夜は父に手を引かれて
近くの教会に行った。
教会への道ばたには
雪で作った灯籠のロウソクの明かりがチラチラともり、
それはきれいだったこと、
母は遠い思い出を幸せそうに話してくれた。

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祖母もそんな夫や小さな娘との日々を思い出しながら
私にツリーを飾ってくれたのかもしれない。
祖母ももういないけれど
赤、黄色、黄緑、水色、ピンク
5人の小さな天使は今も我が家のツリーをかざってくれる。

そして新しく5人の天使も北の国からやってきて
今年のクリスマスは天使がいっぱい。

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北国の雪はおさまっただろうか
どうぞ穏やかなクリスマスを。

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by sarakosara | 2014-12-23 21:52 | 思い出小箱

オンリー・イエスタデイ

この4月からスマが土曜日の授業もはいって出勤になり
私も土曜日の寝坊はしばらくおあずけ。
起きなくてもいいよと言うけれど
バタバタされるとどうせ目が覚めてしまうし
かえって早起きしたほうが仕事がはかどるし
自分の時間も増えるから結果オーライ。

自分の時間といえば
寝る時に時々スマホでその時々の好きな音楽を聴くことがあります。
ゆうべも金曜の夜
気持ちがゆるっとしていたので
スマホでyoutubeを開きながら、何を聴こうかなとしばし。
穏やかなボーカルがいいなと思っていたら
ふと、カーペンターズを久しぶりに聴きたくなりました。

耳元からカレンの声
オンリー・イエスタデイが流れたとき
いっきに、そして鮮やかにその頃のことが脳裏に広がった。

廊下のはじの西向きの窓から差し込む光。
赤いラジカセ。
迷い、もの思うことの多かった高校時代だったけれど
胸がきゅんとなるほど懐かしかった。

英語の歌詞を一生懸命おぼえたのもカーペンターズの曲が多かった。
ジャンバラヤ
プリーズ・ミスター・ポストマン
デスペラードなどの
カバー曲もよく歌ったっけ。

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「いつかきた道」というタイトルのブログ。
ここに
今まで書いてきた昔のこと、家族のことなど
抜き書きしてリライトしています。
写真はほとんど当時撮ったものをそのままに。

このところそろそろ色々まとめておこうかなと思い立って。
単に自己満足かもしれないので
公開するつもりはなかったのだけれど
やはり公開したほうが励みになるので
こちらの更新がない時、
そちらにいることもあるので気が向いたらのぞいてみてください。

Only Yesterday
ただの昨日だけれど、大切な日々。
by sarakosara | 2014-05-17 17:41 | 思い出小箱

父の日記

この冬に少し書いたけれど
父の机の引き出しでみつけた日記。
1957年の元日から綴られていた。
終わりは1958年、8月22日。
分厚い日記で、まだ真っ白なページが半分以上残ったまま。

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父と母が結婚して9年目に生まれた私。
子どもを待ちわびる気持ちと、夫婦ふたりの生活を大切にしていこうと思う気持ち。
ふだんの妻とのやりとりや、ささやかな出来事の中に
そんな父の気持ちが感じられる。
そしてこの日記を付け始めた翌年の8月、私が生まれた。

白いページの最後の日付は母の陣痛が始まったことから
さまざまな不安や喜びが去来する父の気持ちが書かれている。
そしてしめくくりは私が無事に生まれた喜びと妻へのねぎらい。
それきり、この日記は終わっている。
もう日記を綴ることよりも
新しい命との日々で満たされてしまったことを
物語っているかのように。

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父をなくしてから
あらためて、私はどれほど両親から愛されてきたかを
ことあるごとに、ひしひしと感じている。
そんなふうに慈しまれ、育まれてきた命。
そんな命をこれからも大切にしていこうと思う、私の生まれた日に。
by sarakosara | 2013-08-23 23:58 | 思い出小箱

伊那の夏

夏休み前半は叔母達のほかにも
ご近所や私の友達がお参りに来てくださったり
私もなかなか家をあけられずにいたが
12日はミコも来て、スマの運転で寅さんの両親のお墓参りへ。
一緒に帰ろうねと言ってお盆を迎えた。

お墓があるのは、高尾。
中央高速を走りながら、
このまま長野まで行ってしまいたいなぁと思った。

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あれは中学生から高校生、そして専門学校の頃。
幾度となく親友のあっちゃんのお祖母ちゃんのところへ行った。

そこはあっちゃんの母方のお祖母ちゃんがいる、長野の伊那。
小柄でやせた、畑仕事の日焼けで黄金色の顔をしたお祖母ちゃんだった。
春休み、夏休み、幾度となくお世話になった。
春はまだ雪があって
夜は冷え込み、みんなで炬燵に足だけ入れて布団をかけて眠った。

一番思いで深いのが夏休み。
一週間ほども長逗留して
毎日、さぁ今日は何しようの楽しみ。

朝は早起きなお祖母ちゃんと一緒に起き
「畑に行ってトマトをとっておいで」
と言われ、まだ朝露のおりる畑でトマトをもいでくる。

もぎたてのトマトがいっぱいの食卓。
ひとくち食べたときのおどろき。
なんだ、このトマトは!
忘れられない、初めて食べる美味しさだった。
今は美味しいトマトがたくさん出回っているけれど
あの時の感動にも近い美味しさは感じたことがない。

ある日は駒ヶ根まで遊びに行った。
漫画を買ってきて
有線がきこえる座敷にごろごろ寝転がりながら漫画を読んだ。

ある日は天竜川で、川遊びをした。

叔父さんに連れられて千畳敷カールから
宝剣岳の登ったこともある。
鎖をつたって登るなかなかの難所だったけれど
頂上ではブロッケン現象にも遭遇、貴重な体験をした。
登山慣れした地元の叔父さんとはいえ
経験も浅い高校生をよく連れて登ってくれたものだと思う。


中央高速を走りながら、
あの雄大な中央アルプスと、天竜川の清流と
たまらなく美味しかったトマトの味と
よく日焼けしたお祖母ちゃんを思い出した。
伊那の風景も時代とともに変わったのかもしれない。
お祖母ちゃんももういない。
でもいまだに
長野というと、あの伊那の夏の風景を思い出す。

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写真は中央アルプス観光サイトから無料配布の画像をお借りしました。
by sarakosara | 2013-08-16 15:30 | 思い出小箱 | Comments(6)

懐かしい新人時代

スマは昨日が初出勤。
5時起きしてでかけていきました。
「いつでも、どこでも熟睡」で定評のあるスマだけど、
珍しく前日の寝付きがよくなかったらしく、やはり緊張してるのね、
少し緊張するくらいが、身が引き締まっていいでしょう。
出がけに、じぃじの時計していくねって、嬉しかったな。
ミコは一日から新しい学校に出勤しています。
今年も新一年生だとか、週明けにはピカピカの一年生を迎えます。
昨年度は悪戦苦闘の一年だったけれど、
3学期には保護者の方々とも気持ちが通い合い、
最後の懇談会は涙なみだのお母さんも多かったとか。
子どもたちのことを優先して考えていれば、親御さんもわかってくれるのだと
そんなこともまた勉強したようです。
今年度のミコの希望は中学年で出していたのだけれど、また一年生。
ああ、大変だな‥と、小さくため息のミコ。
でもけして暗い顔じゃなく、
私って心身ともにタフなんだよね、
まぁまた一から始めますか。
そんな前向きなあきらめムード(笑)
昨年度の経験をかってくれたのかもしれないのだもの、がんばってね。

ミコからスマへ、就職プレゼントだとか。
先輩先生として、これ役立つよって。

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昨日は午前中から東京まで出る用事があって
午後は遅れていた父の確定申告。
電車に乗ったり、税務署に行ったりしながら
どこか初々しい新人さんの気配があちこちでします。

いつも聴いているFMからも春のスタートにちなんだ曲が。
その一曲で、自分の新人時代のことも思い出しました。

私の新人時代は、一般的なものではなく、
当時20代だった社長が独立したのを機に採用された新人第一号であり
唯一の社員でもありました。
出版社とは名ばかりの小さな会社。
虎ノ門というオフィス街の中にあるとも思えないような
階段がギシギシと音をたてる建物。
一階には印刷屋さんが入り、二階は真ん中の細い廊下をはさんで
小さな得体の知れないオフィスが6部屋ほど並んでいました。

社長がでかけてしまうと私ひとり
可哀想だからと、買ってくれたラジオでFMを聴きながら電話番。
名刺には、編集部って書いてあるけれど
部って?(笑)
それでも若かったからか、ありきたりが好きじゃなかったからか、
お洒落なオフィスを羨ましいと思うこともなかったし、
寂しいとか、不安だとかいう気持ちより
これからどうなっていくのだろうというような
期待感の方が大きかったから不思議なものです。
いつもそばに東京タワーが見える風景も大好きでした。

もちろん落ち込む日もあったけれど、
一からスタートしたそこで、だんだん出版社らしくなり
いつしか、編集部の名刺もそれなりの重みを持ってきた。
そこで過ごした10年は私にとっての忘れられないものになりました。

朝一番で出勤して、まずFMのスイッチを入れる
そこから流れる音楽を聴きながら、窓を開け、お湯をわかし、掃除を始める。
たぶん、この曲も何ども聴いたと思う。
音楽はあの時、あの頃に連れていってくれる。

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あの初々しかった私はもういないけれど、
今週は来週から始まる仕事の下準備もしました。
今までファイルに次々入れてきた資料も一掃整理。
だんだん頭の中はピンぼけになって、目もピンぼけ、
細かい作業なので、いつまで続けられるかわからないけれど
気持ちを引き締めて、来週からスタートします。
by sarakosara | 2013-04-06 17:51 | 思い出小箱 | Comments(20)

北の国から

結婚する前の私の本籍地は札幌にありました。
父からは何度か本籍を今住む町に変えようと持ちかけられたけれど、
札幌の本籍に愛着があって、変えないでと頼んでいたもの。
その後私も結婚して寅さんの本籍地に移り、
もうお父さんだけだから移転してもいいな、と念を押されたのが
三十年近く前のこと。
必要な時も遠方だと何かと不便で
父方の祖母が元気なときはよく区役所へ出向いて送ってくれたけれど
祖母も高齢で、父ももう札幌から移転してもいいと思ったのでしょう。

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今回父の戸籍謄本が必要で、わが町の市役所へ。
出生から死亡までの戸籍が必要だったので、その旨申し出ると
お父さんはずっとこの町に戸籍がありますか?と訊ねられ
だいぶ前に移転したはずですが、それ以前は札幌にありました。
そう答えると、それでは以前のものは札幌に申請していただくかもしれません、と。
了解して待っていると、
戸籍係の人から呼ばれ、お父さんは戸籍の移転をされておらず
札幌のままですよ、と言われました。
えっ? ああ、そうでしたか‥
係の人から、札幌の中央区役所の住所、
それから申請の用紙、手数料などは定額小為替で同封することなど
丁寧に教えてもらって帰宅。

もうとっくの昔に父の本籍はわが町に移転していたと思い込んでいたので
ちょっと驚いた。
移転の手続きが億劫だったのだろうか。
でも調べてみると、さほど煩雑な手数は必要ないようで
当時は60代だった父に負担なことはなかったはず。
となれば、やはりいざとなると
札幌の本籍を変えがたい気持ちになったのだろうか。

父と本籍の移籍を話した私の結婚した年、
札幌の祖母は5月の式に上京してくれたあと、夏の終わりに亡くなっている。
もしかしたら、祖母が亡くなって父の気持ちが変わったのかもしれない。
そんな気がした。

2010年の2月に、父の生まれた町、北海道の留萌と、
母方の祖母の育った町、増毛を訪ね、ひとり旅をしたことがありました。
雪に埋もれた未踏の地に私の中に流れているものを探すような、
とても印象深い冬の旅でした。
その時に札幌の本籍地があった場所も
どこらへんだったのか、確かめたくて
ビルが並び、車が行き交う交差点に立ちました。


父方の祖母は女ばかり5人姉妹で
祖母が長女、それは仲が良くて
長女である祖母を中心に、
その子ども達である従兄弟同士も仲がよく賑やかだったそうです。
子どもの頃父に連れられて札幌に行くと
かならず父の従兄弟たちとの宴会がありました。

今回はみな遠方と高齢でこちらまで来ることができなかったけれど
お香典のお礼状に、父の晩年の写真も同封して
もしお逢いすることがあったら
父との思いで話などもお訊きしたものです、
そう書いて送ったら
昔のアルバムから写真まではがして
思い出話とともに返信してくれた従姉妹がいました。
お父さんは、私の母の「めんこ」だったのですよ。
めんことは、北海道弁でめんこい子、可愛い子という意味。
父は祖母の末の妹である叔母にとても可愛がられたそうで、
父からもその話はきいたことがありました。

セピア色した写真をみながら
この青年がのちに私の父親になるのだと思ったら
くすぐったいような、そしてじわっと胸が熱くなりました。

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お父さんとは、札幌でジンギスカンでも食べながら一杯やろう、
そう約束していました。
あなたが札幌にいらしたら、ご馳走するから
ぜひ一緒にその約束、お父さんの代わりに果たしてください。
手紙にそう書いてくれた父の従兄弟のおじさんもいました。
後から電話でも話し、きっと行くのでと約束しました。

また北海道に行きたいなぁと言っていた父、
もしかしたら、ひと足先に、もう懐かしい北の地まで飛んでいるかも。
そんなことを思ったり。
by sarakosara | 2013-01-30 15:43 | 思い出小箱 | Comments(12)