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Just The Way You Aer

関東の桜はそろそろ散り始めた。
仕事に行く道すがらの公園に
花びらが散り敷いて一面のうす紅。

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世界はどちらへ向かって歩いているのか
危うい薄氷の上を歩くが如く感じることも増え
だからこそ、今日という1日が穏やかに過ぎることは
当たり前のことではないと知り
大切な人に大切だと思っている気持ちを伝えることを
ためらわないようにしたい。

仕事を終えてから寅さんと待ち合わせて
千鳥ヶ淵の桜を見てきた。
桜は八分咲きくらいの頃。

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先月末でこのブログも7回目の誕生日を迎えた。
書きたいと思う気持ちと
誰かに読んでもらえたらという夢が
同時に叶えられたのがブログ。
それにしても最初のブログを書き始めた時から数えると12年目。
よく続いたなぁと思う。

家族は私がブログを書いていることを知っている。
とはいえ当初は書いている内容は秘密だった。

でも、この「Just The Way You Aer」は
ミコがアメリカに行くことになった時に
一年間会えない間の我が家の様子など
見たい時に見てもらえればという、そんな気持ちで書き始めたところ。

ミコも今は見ることもないだろうが
いつかまた、ここを家族が読むことがあってもいいと思いながら書いている。

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この冬、時間がある時に
今まで書いてきたブログやSNS、メールアドレスなどいっさいをノートにまとめた。
ログイン情報も書いて、私がいなくなった時は
読むなり、削除するなり自由にしてほしいと
そんな言葉も添えた。


人それぞれ、ブログに対する考え方も違うだろうし
書いている意味も違うと思う。

私の場合、家族の話がかなりの数ある。
両親や祖母との思い出も山ほど書いた。
書くうちに私の中で未消化だったことがらも
少しずつ整理されていった。
親子といえども全てを理解し合えるわけもなく
胸に秘めておきたいこともあったろう。

特に母は大人同士の会話をする前に逝ってしまったし
日記や文章を書く人ではなかったので
母のほんとうの思いがどこにあったのか
以前のブログには母のことを書いた記事が多い。
母との数々の思い出を書くうちに
また多くの方のコメントや、その人生を読ませていただきながら
大好きと、なぜ?が、綯い交ぜになったような
母への気持ちが少しずつほどけて
一人の女性としての母も自然に受け入れられるようになっていた。

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いっぽう矛盾するようだが
思い出はどんどん美化されていく。
母とは違い、ブログを書きながらリアルタイムで老いていく父に向き合った日々。
そんな父とともに過ごした時間に書いてきたことは
今読み返しても、あの時こんな気持ちだったのかと
ありのままを書いたことで自分の弱さを思い知ることができ
ささやかな日々の一つ一つがとても大切に思われたりする。

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コメントを閉じてやがて二年が経とうとしている。
今はこれが楽で自然だと思っている。
「Just The Way You Aer」というタイトルも
とても気に入っている。
迷った時に、今のままでいいよと言われているようで素直に書ける。

でも、あの多くのコメントを交わし合った時間がなければ
たぶんこんなに長く書いていることはなかっただろう。
多くの出逢い、そしてたくさんのコメントで繋がってくださった多くの方に
心から感謝しています。








by sarakosara | 2017-04-16 17:46 | 想う

おめでとう、イチロー

オリンピックも連日嬉しい報せがあって
悲喜こもごものアスリート達の笑顔や
悔しい表情に、こちらも一喜一憂。
特に団体戦のメダルはその連帯感ゆえの感動もひとしお。
その満面の笑みにこちらも泣き笑い。
感動がいっぱいです。

実はスマの幼なじみのY君の従兄弟が
ある個人種目で出場していて
残念ながら二回戦で敗退しました。
私もY君ママからきいて、
一回戦突破の時におめでとうメールをしていたのですが
二回戦を終えてから返信があり
完敗だったけれど、今までで一番強い相手だったし
精一杯やったので悔いはないと連絡があったよと。
リオから帰ったら寄るって言っていたから
いっぱいご馳走作って労ってやらなくちゃと、返ってきました。

そんなリオオリンピック最中で
例年よりも報道がかすんでしまっているけれど
高校球児も暑い夏をがんばっているし
そして、忘れてならないのが
大リーグ通算3000本安打を達成したイチロー。

140年に及ぶ大リーグの歴史でイチロー選手が30人目。
ほんとうにすごい記録だと思います。

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オリンピックの報道にわく中
そしてホームグラウンドではなかった中だったけれど
素晴らしい快挙。

こつこつと、一歩ずつ
その一歩をけして疎かにしないイチロー。
大リーグ、いってみれば最初はアウェイの中での実績作りだったことでしょう。

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年齢を重ねながら、きついと思う日もあったかもしれない
先発できない中、
若くないイチローには代打でヒットを打つのは至難の技だったかもしれない。
それでも大記録をやってのけた。

かつてのチームメイト、ヤンキースのアレックス・ロドリゲス選手も
野球に情熱と愛情をもって
どんな時でも同じ姿勢で絶えず一貫していたと讃えていた。

ベンチでこぼれた涙。
オリンピックで輝くアスリートにも
イチローの嬉しい一報は、きっと大きな励ましの報せになったと思うし
またイチローもオリンピックの選手達に
目を細めているかもしれない。

暑い夏の嬉しい一報になしました。
by sarakosara | 2016-08-11 15:03 | 想う

琵琶湖疎水の桜

スマの引っ越しを終え、昨日帰ってきました。
1日は大原に前泊し、引っ越しは2日。
大原の民宿の桜は
まだ開きかけたところ。
莟が今や開かんと赤く染まっていました。
老木と思われる桜が満開になったら
さぞ見事なことでしょう。

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翌日スマは朝から鍵を受け取りにバスで
不動産屋さんのある河原町に向かい
寅さんと私はせっかくだからと、三千院を見学してから車で引っ越し先へ。

良いところだよとスマからきいていたけれど
すぐそばを琵琶湖疎水が流れ
折しも桜が満開。
思いがけず初の京都の桜となりました。

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ちょうど引っ越しシーズンまっただ中なうえ
おまけに春休みと、桜。
どこもかしこも道は渋滞し
当日の午後届くはずだった荷物は軒並み遅れ
夜になってやっと家電は届いたものの
とうとう、ベッドと予備の布団一式は届かずじまい。

家から持ってきたのはスマの掛け布団と毛布と冬用シーツだけ。
やむなくラグマッットにシーツをしいて
スマの掛け布団は寅さんと私が使い。
掛け布団一枚に大人三人が川の字はきついからと
スマは毛布一枚もって車へ。
その方が楽だよとは言うものの
スマのことも気になるし、
敷布団無しの背中や腰は痛いし何度も目が覚めては
ここでのスマの暮らしを想ったり。

予定では、夕方までに細々した買い物も終えて
街中に食事でも行こうと思っていたのに‥
予定は未定にして決定にあらずの、春の宵。

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翌日は買い忘れをホームセンターへ行き
昼過ぎには寅さんと私は出発することになっていたので
いつ届くかわからないベッドはあきらめ
お昼がてら疎水の桜並木を見に行ってみようかと
でかけました。

ここを見せたかったんだと、
夷川発電所の説明をしてくれるスマ。
薄曇りの空に桜が風にゆれ
桜にもスマにも名残惜しい気持ち。

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でも、そろそろ出発しなくちゃねと
寅さんと京都を後にし
浜松に一泊して帰途へ。

ミコのアメリカ行きの時に
我が家の様子を知らせるために書き始めたここが
いつしか今まででいちばん長いブログになり
この春で6年目になりました。

スマには知らせるつもりはないけれど
今までのあれこれも懐かしく
17歳の時に進路のことで喧嘩してしまったこと、
院に行くのをやめると決めた時のこと。
卒業のとき。
そして、今回ふたたび学生となって院に行くと決めたこと。
ひとつひとつが大切な記録になったと思います。

今までのミコの一人暮らしと
スマの一人暮らしは、ちょうど互い違いになって
今度が新婚以来久しぶりの寅さんとの二人暮らし。

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固い寝床に寝返りばかりだった夜
隣に眠る寅さんをみながら
これからはこうして二人の時を刻んでいくのだなと
あらためて思いました。
我が家の新しい時の始まり。
by sarakosara | 2016-04-05 23:30 | 想う

記憶の回路

9月にはいって、大雨が降って大きな洪水があり
まだ片付けも終えられていない地区もあることと思います。

自然災害が日常茶飯事になってきたのではないかと思われるこの頃、
首都直下地震もいつ起きてもおかしくないということで
いつ、なんどき大きな災害に見舞われるかわからないという
そんな覚悟だけはしておかなければと思ったりします。

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私も小学校二年生の時に床上浸水を経験しています。
今回のような、大きな河川の決壊ではなかったので
あの濁流が押し寄せるような状況とは違ったのですが
大雨で捌けきれない水が逆流してきて浸水しはじめ
結局床上40センチまで水があがりました。

当時の家は平屋だったし
まだ下水道が完備していない時代、
トイレも汲取式で、
両親や祖母が大わらわで荷物やたたみを
できるだけ高いところに持ち上げたり
それは大変だったろうと思います。

救助のボートに乗って
近くの小学校の二階に避難し
幾日かをそこで過ごしたのですが
もう8歳だったはずなのに、
あまり鮮明な記憶がない。

隣の町に住む友達がお父さんと一緒にゴムボートで
様子を見に来てくれて
私だけでも家に来たらと言ってくれたけれど
両親と離れたくなかったのでしょう
学校に避難するからいいと断ったこと。
ボートに抱かれて移る時に水がはねて
洋服が汚れ、ぬれたところが気持ち悪かったこと
学校の廊下を従姉妹と走り回って遊んだこと。
そんなことしか記憶にありません。

隣に住んでいた従姉妹の家の末っ子はまだ乳飲み子だったはず
叔母は三人の小さな子を抱えて大変だったでしょう。
蒸し暑い季節のこと
衛生面も不快だったろうし、食事もどんなものだったのか
夜はどうやって寝たのか。
大きな災害だったはずなのに、さっぱり憶えていないのです。

突然の非日常に、頭の中が興奮状態で
記憶の回路が断線したようになっていたのでしょうか。
もっと幼い頃のことも、わりとはっきり憶えているほうなのに
不思議なことです。

大人達はよほど大変だったのでしょう。
それから何年たっても、
ここまで水がきたのよねぇと
母が柱や壁に残る水に浸かっていた跡をみながら
よく、そう言っていました。

今回被災された方々も
日常が戻るまでに時間がかかればかかるほど
目に見えないストレスがたまるのだと思います。
早く普段の生活がもどりますように。

そして、日々の中でも心して
危険を回避する方法、備えもしていかなければと思います。
by sarakosara | 2015-09-22 15:39 | 想う

私のあの日

私が今まで体験したいちばん大きな揺れ、震度5強。
もともと揺れて折れない構造の我が家。
三階は揺れに揺れて、サッシの窓は勝手に開き
出入り口に物が倒れた和室のドアは開かず
食器棚からは食器が落ちて割れ、テレビも床に落ち
私は廊下の壁に身体をよせてしゃがみ、
自分の身体を守るのが精一杯だった。

寅さんは東京の職場。
ミコはアメリカ滞在中。
スマはそのミコを訪ねて出発の日、出発の時間少し前だった。
成田の機内から、お母さん大丈夫?とメールがきたのが最後。
それきり連絡がとれなかった。

揺れがいちど収まってから、すぐに一階の父のところへ。
幸い三階よりも揺れがかなり軽く済み
父も無事で、三階の惨状をみて驚いて手を貸してくれた。

寅さんと連絡がとれ
帰宅は無理をしないように伝える。
それきり、寅さんとも連絡とれず。

動いたピアノ、タンス。
家の片付けもらちがあかないので
いったん父を三階より安全な一階に帰し
傾いた冷蔵庫を起こして、
台所中に散乱する割れた食器を片付け始めてすぐに
破片で指を切って、それ以上片付ける気持ちになれず
散乱したものたちに埋もれて夕暮れを迎えた。

パソコンは幸いつながったので
連絡のとれないスマの状況を知りたくて
すぐに成田の出発状況を確認。
しかし、よくわからないまま。

テレビもひとりでは元の位置にもどせず
ラジオから刻々と流れる信じられないような事態をききながら
ひとりで過ごす夜は更けていった。

そんな私の2011年3月11日。

東北で被災された方々の
万分の1かもしれない恐怖ではあったろうが
今もあの日のそんな気持ちをおぼえている。

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人生はいつ何時
何が起こるかわからないし
その時に大切に思う人はそばにいないかもしれない。
そのことは思い知った。
どこかで、そんな小さな覚悟はしておかなければと思っている。

そしてもうひとつ。
原発はもういらないと思う。
原発をめぐる人々の思惑、事情、想い
一筋縄ではいかないことは重々承知なれど
やはりいらないと、再稼働はしてはいけないと思う。

たくさんの人が、大切な人を
大切な日々の暮らしを失ったこの日に
そしてそれから長い道のりが始まったこの日に
その思いをあらたに。
by sarakosara | 2015-03-11 00:11 | 想う

三回忌

父の三回忌も無事終えました。
叔母や従姉妹たちもそろって
ほんのうちわの和やかな時間でしたが、
法要のあとの会食には父の写真をかこんで杯をかさね
目を細めてみんなの話をきいている父を感じました。

お寺との打ちあわせ
会食のお店の段取り、もろもろ。
三回忌まではすぐに次の法事が続き
何かと勉強にもなり、慣れもしたけれど
やはり滞りなく終えるまでは
何かと気を張っているもので
私も兄弟がないし
寅さんは私方のお寺の事情にも疎いので
結局私がすべての算段をすることになります。
誰しも親を送ったあとは経験していくことなのでしょうが
無事終えて、ほんとうにほーっと安堵しました。

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今年祖父母のお墓をお寺に返納しようと決めたのですが
結局思い切りがつかず
まだふたつのお墓は並んだままです。
これも自然と事が運ぶ時がくるのじゃないかと
その時をもう少し待つ事にしました。
by sarakosara | 2014-12-23 16:10 | 想う

遠い日の私へ

先週の日曜日は
小中高をすごした母校で、チャリティーコンサートがあった。
ヘンデル作曲「メサイア」
管弦楽に合唱団、独唱のテノール、バス、ソプラノ、アルト。
休憩をはさんで三時間近くのオラトリオ
正直言って最初は眠るかと思ったけれど
解説書を片手に
各場面を想像力をかきたてながら聴き込んでいくと
いつの間にか組曲にひきこまれていた。
午後三時過ぎに始まったコンサートが終わったときは
外はもう秋の日がおちたあとで、月が輝くおだやかな夜。
懐かしい聖堂の前にたって
こんなふうに明かりがともる聖堂を外から見ることってあまりなかったねと
幼なじみのAちゃんと感慨深く話しあう。
外からみると、とてもきれいだ。

もう80代になられた学年担任だったシスターふたりともお会いでき
ほんとうに懐かしく、喜んでくださった。

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小学校から高校まで
多感な時期の12年間を過ごしたこの場所には
数えきれない思い出がある。
以前にも少し書きかけたけれど、とても書ききれるものではないと
やめてしまった。
ただ無邪気だった幼い日々をすぎ
ちょうど中学3年頃から高校時代にかけて
いちばん多感だったころ、
私は一刻も早くここを出て行きたいと思っていた。
窮屈で息苦しくて、ほんとうの私はここにはいないと思っていた。
愛する場所であり、うとましい場所。
同級生の何人かも進むことになっていた
カトリック系の女子大の推薦をぎりぎりで断り
デザイン学校にすすんだ時
誰も知らない場所で始まった新しい日々に
不安もありながら、新鮮なときめきを感じ
心底ほっとしたことをおぼえている。
それからしばらくは学園から遠ざかっていた。

それが不思議なもので
仲良しだった友人数人が次々と学園の母体の事業や
同窓会の仕事にかかわるようになって
私も応援を頼まれるようになり友人の助けになるのならと
ここに来る機会がふえてきた。
正直いって、いまだに少し足取りが重い。
懐かしい学校への坂道をのぼりながら
ときどきふぅと、ためいきが出そうになることもあるけれど
ここ数年はあの当時の気持ちを正直に友人にも話すようになった。
「えっ?そうだったの!?」
「へぇ、さらちゃんがねぇ、ほんと?」
一様にみんなこんな反応をする。
あの頃はそんな自分を知ってもらおうとは思わなかった。
なによりいち早くここを出たいという気持ちは友人にも言っていなかったと思う。

実際、学校を出てからはほんとうに自由になった。
それから出逢った友達には
本音でぶつかったし、今もそんな私を理解してくれている。

でも、このごろはこうも思う。
学園で過ごしていた私も、またほんとうの私だったんだと。
そしてここで過ごした12年間が私に残した大切なものの大きさにも
気づいている。

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まだ小学生の頃、
帰宅する前に仲良しのAちゃんとよく寄ったお御堂。
あのときのままだねって、Aちゃんと思わず写真を撮った。

この小さな窓に、ランドセルがちょうどすっぽり入る。
後ろ向きになって
そこにランドセルを上手にいれて
しんと静かなお御堂にひたひたと靴下になってはいり、
マリアさまの前で祈った。

今回メサイアをききながら
あの時とひとつも変わらない聖母子像をみあげ
幼かった私は、あるいは多感な年頃の私は
ここで何を祈っていたのだろうと思った。

私がここで知った祈るということ。
何か自分をこえた大いなる存在を感じること。
自分は弱い存在であるからこそ
身を委ねることで、強くなれること。
それを知ったことは
生きていくうえでほんとうに心強いことなのだ。



9月の末にもバザーの準備の手伝いで
ここへ来た帰り道
坂道をおりていたら、ちょうど後輩たちの歌う「あめのきさき」がきこえてきた。
ふいをつかれ、立ち止まりそうになった。
当時はあきるほど歌ったこの歌。
懐かしさでいっぱいになった。

コンサートのあとに
役員をしている友達が食事会をセッティングしてくれていた。
同期10人でにぎやかな夕食。

いっときはうとましく思った場所だった
私をわかってくれない場所だと思っていた。
けれど、私も心をとざしていたのかもしれない
知ってもらおうとしていなかった。
ええかっこしいだった。

そこへまた呼び寄せてくれた友人には感謝している。
あの12年をすごした場所は
やはり私にとってかけがえのない場所だったから。
by sarakosara | 2014-11-01 18:00 | 想う

秋来ぬと

もう10月。
昨日はお手伝いをしている幼稚園の運動会。
鼓笛隊、小さなからだで
真剣な顔で小太鼓をたたく女の子に
20年前のミコが重なって
健気で愛らしくて毎年のことながら、涙ぐんでしまう。

振り向くと若いお母さんが
タオルハンカチを手に目をまっかにしていた。
心いっぱいの拍手をしていた。
ミコと同い歳くらいの先生も
涙でくしゃくしゃになりながら次の種目のため、ラインを消していた。
来年は小学生になる年長さんが
練習を重ねてそれをお披露目する日。
暑い時期の練習はきついからやめようかと議論したこともあったけれど
何より子どもたちの真剣な顔、
やり終えた時のきらきらした瞳をみれば
がんばったねと、拍手をおくりたい。

その一週間前の土曜日は
母校のバザーの準備のお手伝いに。

書いておきたいことはたくさんあるけれど
健診シーズン真っ盛りで仕事もつめつめ
週末も用事が続いている。
コメントも閉じっぱなしでごめんなさい。
こんどの三連休はひさしぶりに予定もなしで
のんびりできそうです。


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広島の土石流に続き御嶽山の噴火、
いたましい被害があった。
ここ数年以前にくらべて自然の猛威を感じる事が増えているような気がするのは
気のせいだろうか。
私たちはこれから
数々の自然災害と対峙していかなくてはならない
そんな時代を迎えているのかもしれないと最近よく思う。

そんな自然の猛威のいっぽう
しとやかに訪れる秋もある
毎年季節を忘れず咲く花がある。
そして毎年この季節、この日がくると思いだす人がいる。



この歌が好きだと言っていた。
どんな思い出があるのか訊かずじまいだった。
by sarakosara | 2014-10-05 19:08 | 想う

ハッピーアワー

8月19日。そらさんとソラマチ。
仕事を3時で早引きして午後4時過ぎに待ち合わせ。
ひさびさのデートです。
ちょっとぶらっとしたあと
お日様はまだ西の空だけど
午後8時からのプラネタリウムまで
まずはゆっくり冷たいビールでもってことで
とても眺めのいいお店へ。
エクストラコールドビールで一年ぶりの乾杯。

午後5時前。
いつもならまだ仕事をしている時間
「ハッピーアワーね」
夕食前の時間帯のちょっと幸せなお酒の時間のことをそう呼ぶと
以前そらさんのブログで知ったハッピーアワー。
まさに今だなと、そう思って言いました。

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この夏は西日本や日本各地で豪雨
関東は猛暑、とお天気が不安定な夏だった。
この日も猛暑の仕事帰り
キンキンに冷えたビールの幸せ。
友人と一緒の時間でことさら美味しく感じられ
沈む夕日の遠くで
その翌日の朝、あのような土砂災害が起こるとは
夢にも思っていませんでした。
きっと被災された方々も
いつもどおりの夕方を過ごしていた頃だったのでしょう。

いつ何が起きるかわからない。
大切な人との別れも一緒。
だからこそ
ほんとうはひとつひとつの一緒の時間を大切に過ごしたい。
でも日常の中で忙しさにまぎれ
そんな丁寧な時間をとることを忘れてしまうこともある。

バタバタした朝
つい出がけのスマに小言を言って送り出してしまった時
しまった、と思います。
家族みんなの無事を朝祈る
そして笑顔で行ってらっしゃいと声をかけたい。

たとえどんなに心を尽くしたとしても
後悔のない別れなどないと思うけれど
できれば一緒に笑う時間を大切にしていきたい。
かけがえのない人との突然の別れは
おしつぶれさそうなほど
大きな悲しみがおそってくるけれど
やがて時がたつうち
一緒に笑ったあたたかい思い出が
心に灯をともしてくれる。
勇気をくれる。
突然に母をなくしたあとに実感したことです。

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ひとつ空の下
こうしてともる灯りをみていると
たくさんの人がそこで日々を過ごしていることが愛おしく思われます。
明日何があるかわからないからこそ
大切な家族、友人と過ごす時間は
できれば穏やかな温かなものにしていきたい。

もうじきお誕生日でしょって
そらさんが、バラの作業用の手袋をプレゼントしてくれました。
ありがとう、そらさん。
23日に、
母がなくなった年齢55歳を越しました。

その23日、先週の土日に
ミコとも幸せな時間を過ごしてきました。
そのことはまたつぎに。
by sarakosara | 2014-08-31 17:39 | 想う

一昨日から家の外壁の塗装が始まりました。
そろそろの時期だったし、震災の影響かヒビがはいっている箇所があって
我が家の場合ALCコンクリートという水に弱い素材を使っているから
外壁の塗装は10数年に一度必須とのこと。
費用もかさむので消費税値上げ前にと契約していました。
同じような人も多かったのか工期がおせおせになって結局今になりました。
3月の見積もりどおりでとのことなので我が家としては問題なし。

足場ができて、シートがかけられちょっと鬱陶しいけれど
仕事にでかけている間に作業なので、
洗濯物が外干しできない以外はこれも問題なし。
今日は日曜で作業がないので、シートは寄せてくれました。
見通しちょっと明るし。

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年明け1月に父の庭のフェンスの一部が
故意にか過失か壊されてしまうという出来事がありました。
やはり空き家状態がよくないのだろうか、
そんなことを考えていた矢先
従姉妹から一階に家を貸してくれないかと打診。
従姉妹はシングルマザー
一人娘を育てながら一生懸命働いている。
暮れの法事の時にちょっとそんな話しは出たけれど
それきり忘れていた話し。
我が家も助かるし、従姉妹もお財布が楽になる。
なんていうタイミングだと話しはトントン拍子。
引っ越しの時期やリフォームもというところまで話しが進んだところで
叔母に事後承諾になること
蚊帳の外で話しを進めていたことに気づきました。

1月に80歳を迎えた叔母は一人暮らし。
まだ仕事をしながらとても元気だけれど
兄である私の父をなくしたり
従姉妹達との和解もあったりで
急に気弱なことを言うようになった。

従姉妹が一緒に住むべきなのは
私ではなく叔母なのではないか?

そのことを従姉妹に言ってきかせると
「そうだね、お母さんひとりなんだよね。
こんな歳になるまで私もお母さんの淋しさに気づけなかったなんて」
そう素直に言ってくれたのです。

我が家への引っ越し話があったからこそ
叔母との同居の話しがもちあがった。
父がいちばん心にかけていたことがひとつずつ解決していってる
そんな気がします。

我が家の一階の話しはこれで振り出しに戻りました。
今年は家のこと、これからのことを考えていかなくちゃ。

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私は家を見るのが好きです。
見知らぬ人の家をみながら歩く時
そこに暮らす人のことを想像してみる。
不思議なもので長年暮らす家にはそこに住む人の想いみたいなものが
映されるような気がします。

23年間、これまで3世帯7人が暮らしてきた我が家も
いろんな意味で曲がり角。
by sarakosara | 2014-04-06 14:43 | 想う