カテゴリ:家族のこと( 49 )

引越し 梅香る頃

今年更新を控えていたミコの部屋。
折しも婚約者の彼も同時期に更新を迎えることがわかり
更新料も馬鹿にならない金額なので
お互いの親にもちゃんと挨拶も済んでいることだし
新居を探してしまおうかという運びになったのが
年明けのこと。

それから間もない先月末に
事後報告だけど、いいところが見つかったので
契約しましたと連絡があり
年度末の忙しい最中なので、
引越しするのならこの日しかないと決まった日取りが昨日、今日。
昨日は私も手伝いに行き
今日は職場の同僚が数人手伝ってくれる算段。

二人とも職業柄休みは取れず
どちらも独り暮らしの部屋からの引越しなので、
ほんとうにバタバタと慌ただしいことになった。

それでも即決しただけあって
ほんとうに明るい良いお部屋。
私はキッチンの荷ほどき、片付けを引き受け。
リビングと寝室は彼とミコで荷ほどき。

独り暮らし同士なので大概のものはすでにあるため
新しい買い物はダイニングテーブルのセットのみ。
ふたりで一緒に組み立てる声を
キッチンでききながら、
新しい生活が始まる初々しいときめきのようなものが
私にも伝わってくる。

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先週は荷造りの手伝い。
独り暮らし4年目のワンルームは
整理整頓されていて、荷造りもしやすいけれど
それでもダンボールがいくつも積まれていく。

一休みしようか
コーヒーでも飲みたいね。
うん、ちょうどひとパックインスタントのドリップコーヒーがあるから
入れるねと、ミコ。
あらかた食器も詰めてしまって
もう処分してしまおうかと
迷っていたカップがちょうど二つ。

まだ捨てないでくださいって言われてるみたいと、ミコが笑う。
ふたりでホッとひと息つきながら
ほんと、急に愛しくなっちゃうね、このカップ。とまた笑う。

あれよあれよと事が運び
結婚式を挙げるところからの心の準備がなかったので
急に手元から離れてしまうようで
すうっと心もとないような一抹の寂しさがある。

新居もとりあえずの賃貸だけれど
路線も二回乗り換え
何かというと行き来していた今までのようなこともないだろう。

よき伴侶を得たのだから
そのことはとても嬉しいのに。


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もう30年も前の父も同じような気持ちだったのだろうか。
それは父にしかわからないことだけれど
娘の嫁入りを一緒に祝い寂しさを分かつ妻はすでになく
ホッとする一方
手元で慈しんできた一人娘の私を嫁がせ
二十数年一緒に過ごしてきた日々を手放すこと
どんなにか寂しかったろうと思う。

自分が娘を送り出す時になって
あらためて父の気持ちに思い至る。
芋づる式に晩年の父のことまであれこれ思い出し
急にしんみりしてしまって
ミコの手前なんだか気恥ずかしくなって笑ってごまかした。

その日開き始めた父の庭の梅は
今朝はもうすっかり満開に近いほど開き香っている。




by sarakosara | 2017-02-19 17:50 | 家族のこと

大切な人

秋風がふいている。
そんな夕暮れは
ちょっと人恋しくなる。

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先週の日曜日
我が家に、ミコの大切な人がきた。
寅さんと私も家中を掃除して
ドキドキ待っていたけれど
Y君はその何倍も緊張していたらしい。

おもてなし料理を色々検索してみたものの
やっぱり作り慣れた自信のもてる味だと結論。
ちらし寿司に茶碗蒸し、鯛の昆布ジメ
友達が送ってくれた増毛のタコのマリネ。
揚げたてコロッケ。
美味しくな〜れと、心をこめた。

食事をしながら
お互いのあれこれを話し
なごんだ空気が流れ出した頃
ちょっとY君にきいてみた。

ミコって少し変わっているでしょう?
は?と怪訝な顔の彼
う〜ん、変わっているというか、
今時の女の子と少し違うでしょう?

ああ。それか、というように笑うY君。
そういう意味なら、僕も少し変わってますから。
ミコと目を合わせて笑っている。

最近は料理も上手に作るようになったのよ。
うちに来て作ってくれると手際もよくなって。
はい、めちゃ、美味しいですよね。
あ、もう食べたの?
それは、ごちそうさまでした。

まだ、これからのふたり
でも、互いを大切だと思えること
私たち以外に
ミコのことを大切に思ってくれる人がいることは
心強く、あたたかい。

具体的な話はまだないけれど
とても幸せな一日だった。
急かさず、ふたりの機の熟す時を待とうと思う。





by sarakosara | 2016-09-12 21:09 | 家族のこと

祖父の記録

いつの間にかひとつ前の更新からひと月。
ミコもお盆休みに三日ほど帰ってきたり
スマがまた一週間休みがもらえたと
青春18切符でもどり
しばらく我が家も賑やかだった。

そして私はまたひとつ歳を重ね
8月最後のお楽しみの、
a-nation island & stadium fes. 2016は雨の中、
アリーナだったので、カッパを着て楽しんできた。

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そんな間も何度も台風が
日本列島を通り過ぎて
東北、北海道の豪雨。
いまだかつて経験のないような
という言葉がニュースで何度も流れ
これからも未だかつてないようなことが続くのだろうかと
貘とした不安を感じることがある。


7月の末に祖母のことを書いて
それから間もなく、
月遅れのお盆の支度をしている時に
父の仏壇の下の引き出しをあけてみた。
なぜか引き寄せられるように
見覚えのある少し大きめの菓子の缶を開くと
中に祖母の旅行写真などと一緒に
一冊のぼろぼろの冊子をみつけた。

開いてみると祖父のものと思われ
昭和10年の北海道静内町の
凶作の概況と記されている。

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綿密な気温の記録、
風雨水害、冷害のひどい年だったらしく
写真とともにまとめられ
数年来の農村の疲弊困憊を何とか救済すべく
声明書として締めくくられている。

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昭和初期の北海道の農業と
その指導に一生懸命取り組んだ人だと
祖母からきいている。
会ったこともない遠い存在だけれど
子どもの頃から、
どこか、大好きな宮沢賢治と重なってみえることがあった。

幼なかった母の手をひいて
教会に通ったり
クリスマスにはサンタクロースに扮して
母を喜ばせてくれたという。
温厚でめったに大きな声を出すことはなかったが
大きな地震で津波がくると騒ぎになった時は
冷静に行動し
臍に力をいれて泣くんじゃないと叱られたことを
母はよく憶えていると言っていた。

この冊子をまとめた二年後
働き盛りの40代に結核で他界した祖父。
なんで今まで、この冊子に気づかなかったのか
不思議と言えば不思議なことだけれど
農業に携わる人と、自然との過酷な共存は
昨日今日始まったことでないのだとあらためて想った。

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大地の恵みにあふれる季節を迎える秋
なぜその実りの季節は台風の季節なのだろうと
自然界の皮肉にため息し
時に燦々と、時に激しく変化する自然と向きあいながらの収穫
幾度もめげず立ち上がってきた人たちのことを忘れず
ありがたくいただくことを忘れないでいたい。
by sarakosara | 2016-09-11 18:11 | 家族のこと

花火

まだ暮れ残る空に、ドドーンと花火。
我が家の屋上からの花火は絶品。
寅さんとふたり、デッキチェアなんて洒落たものではないけれど
ひまわり柄の布張り、年季の入った折りたたみ椅子をだして
ビールで乾杯。
先日の土曜日のこと。

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ここからの花火がいちばんだね。
一年、早いねぇ。

いつも出るのは同じせりふだけど
一緒に見ていた家族は
ひとり減り、ふたり減り
今年の花火は寅さんとふたり。

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と思っていたら
階段をタタタンと駆け上がってくる音。
スマだ。

帰るとはきいていたけれど
花火は別にいいや
適当に帰るからカレーだけ作っておいてと言っていたのに
やっぱり僕も見ようかな、だって。

ふたりのおつまみの分け前は減ったけれど
久しぶりの弾丸トーク、笑顔にほっとする。
大学院生活も多難な漕ぎだしで
色々心配していたのに
いつの間にか人間関係が好調に回りだしたようだし
研究も四苦八苦ながら
私から見れば明るい兆しがみえるように思われる。

気を揉んでいたのは私ばかりだったの?と
肩すかしをくったような
でも、心身ともに、少しまた成長した姿に肩をなでおろす。

二日目は、リクエストの野菜料理を
これでもかという量を作り、
それをぺろっと食べ、二泊だけして慌ただしく帰っていったスマ。

このあいだ、ミコが友達との旅行の帰りに
スマのところへ一泊したようだ。
大人になって姉弟仲が良いのも嬉しいこと。

来年の花火の時は
どんな報告があるのだろう。
私たちは楽しみに待つのみ
もうあまり気をもまず、待ってみようと思う。
by sarakosara | 2016-08-11 15:18 | 家族のこと

増毛(ましけ)の少女

増毛とは、北海道北西部の日本海に面した町の名前。
母方の祖母が生まれ育った町だ。
そこで鰊漁を生業としていた網元の三女に生まれた祖母。

人が多く行き来し、活気あふれる漁師町。
その頃の昔話が好きで
そんな話をする祖母の顔は穏やかに良き時代を懐かしんでいるようだった。
華やかで豊かで穏やかな少女時代と
それとは対照的なその後の日々。

姉妹との決別、若くしての夫との死別
親兄弟に頼ることなく
養女だった私の母を女手一つで育て上げたことは
当時の女性にとっては並大抵のことではなかったと思う。

祖母が生まれた町をいつか訪ねたいと思うようになったのは
いつ頃からだったろう。
実際には私のルーツはそこにない、
母の実の母親はまったく違う人であり
親類縁者でもなかったので、増毛に私の身体を形作るものはなかったのだから。

しかし、私の心を形作ってきたもののルーツは
確かにそこにあると思った。
母を早くなくしたことで、よりいっそうその地への思いが
深まったようにも、思う。
私から母、母から祖母へ繋がる何か。
それを確かめたいとう思いが叶ったのが6年前のこと。
どうしても雪深い頃に一人で行きたかった。

今年初めての鰊船が出たよと
灯台への道を訊ねたおばさんが教えてくれた。
いくつかの、
祖母が導いてくれたかのような出逢いもあった。
思い出深い旅。
海が見える。

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正直いって、10代の頃
祖母を疎ましく思うことがあった。
祖母と父がささいなことでもめ、中に入った母と父が喧嘩になる。
そんな日々の繰り返し。
祖母がいなければ、家庭が平和になるだろう
母もどんなにか気持ちが楽になるだろうにと思った。

また、祖母は私を溺愛してくれたけれど
正直祖母といて、心から安らいだことや
心底甘えるということも
あまりなかったと思う。
気性の激しさに翻弄されたからなのか
多感な思春期に知った血のつながりが無いということ
これがそういうことなのか、と思ったことさえあった。

しかし、母が亡くなったあと
祖母には私しかいないと自覚したときから
全力で祖母を守ろうという気持ちが芽生えた。
そして、それこそが母が祖母へ抱いてきた気持ちだろうと。

それから数十年をへた今、
祖母から受け継いだものの多さにあらためて気づく。
そしてどんなに愛されていたかということ
私も同じように思っていたのだということも。

昔語りをする祖母は穏やかで好きだった。

「お昼になると、出稼ぎで働くヤン衆を
 呼び板を力一杯叩いて呼ぶのが、おばあちゃんの役目だったの
 隣の漁場でも大きな声で呼ぶからね、それに負けにように大きな声で呼んだのよ」

姉や妹にはさまれた三女
元気のよい少女だったのだろう。
その少女が愛おしい。

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今日は祖母の祥月命日。
昼からザッと急にどしゃぶりの雨だったかと思うと
青空と夏雲と太陽が顔を出す。
私が10代の少女だった頃の祖母にちょっと似ている。
by sarakosara | 2016-07-31 17:06 | 家族のこと

夕月

金曜日の仕事上がりが、いちばんほっと気持ちがゆるむ時。
昨日はまして、梅雨の晴れ間の青空がみえ
冷房の効きすぎた社屋からでると
風が吹き渡り
ふ〜っと、背伸びをしたくなるようだった。

買い物をおえて家の前。
電線で切り取られた空に、白い夕月。
誰にともなく、お疲れさまって言いたくなる。

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そして、そんな時
スマのことを思い出す。

前記事で、もうそれぞれの道を歩いている。
そんなふうに書いたばかりだけれど
いくら大人になったと割り切っても
気がかりじゃないといえば、それも嘘になる。

保険や年金の事務手続きのことで、連絡することがあり
電話で少し話すと、毎日夜中まで研究室で実験だという。

勉強が思い切りしたくて院にもどったのだから
それは少しも苦にならないらしいが
まず自分の力不足を痛感すること。

学部からあがってきた同期や
高専を出てきた同期、みなの優秀さが半端じゃないこと
現実を目の当たりにすると、
憧れの場所にいるはずなのに
なにか自分だけ場違いの所にいるような気になるらしい。

直属の助教授も、
同じ研究をしている高専卒の同期も
人間関係には恵まれているけれど
結果が出ない実験は
自分が足手まといになっているのではないかと
実力不足が身にしみるようだ。

好きなことに向き合える時間がたっぷりある
はたからみたら、何を贅沢なってことなのだろうし
自分で切り開いていくしかないことだが
二年はあっという間だと知っているから焦りもあるのだろう。

お盆には帰省するする人が多いから
その間、好きなように実験装置を使えるので
自分はお盆には帰らないと思うと話していた。

人間関係には恵まれていること
写真部にも入って、
そこでは息抜きができることなんかも話して
切り抜けて頑張るだろうと思っている。

17歳の時にスマと進路のことで喧嘩をした夜があった。
その日のことを書いた「手紙  追記 ごめんね 」
あれから8年の時がたった。

アンジェラアキの、もうひとつ好きな曲、「HOME」



by sarakosara | 2016-06-11 14:12 | 家族のこと

帯とティファール

三月もあと十日。
4月から12月までが病院附属の健診部の仕事
1月から3月が市役所の税務課、
そんな変則的な働き方にもすっかり慣れた。
短期間ながら税務署での仕事もおまけについてくる。

もちろん一年を通しで働ければなによりだけれど
色々な職場の仕事や人間関係の中に身を置いてみるのも
悪いものでもないなぁと、この頃は思う。

そんな市役所の仕事も今月31日で今期はいったん終了。
あけて1日はスマの引っ越し。
寅さんも金曜日に休みをもらって
家の車に積めるだけ積んで、寅さんとスマが交代で運転しながら現地へ。
私は昼の新幹線で追いかけて現地で合流の予定。
道々で桜を見ることができるかもしれない。

連休初日はお墓参り。
昨日はミコのフラの発表会があるから
よかったら来てというので、
寅さんとでかけてみた。
土日出勤もいつものことになっていたけれど
昨年4月から少しは自分の時間を作ろうと始めたらしい。
そんなことを今年になって初めてきいた。
好きな人もできたと、それも初めてきいた。
小さな頃から踊るのが大好きな子だった。
大人になっても変わらないものだなと
楽しそうに踊るミコを見て思う。

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来月早々、友達の結婚式で
高校時代の友達数人で振り袖を着ることになったといってきたのは
今年の一月のこと。
成人式はレンタルだったので、自分の振り袖がない。
私が着たものを見せてほしいというので
久しぶりに出してみたら
二十歳の時にはあまり好きじゃないと言っていたし
確かにミコの顔には映えないと思ったもの
それが大人になった今合わせてみると、不思議としっくりみえる。

私が着たその振り袖も実はお下がりだった。
色々家が苦しい頃で
母が着物好きの知り合いから
娘さんのものを安く譲ってもらった、淡いグリーンに白い蝶が飛ぶ少し珍しい柄。
それに母が帯だけ新調してくれた。

今回私もミコに帯だけ新しいものを買ってやりたかった。
母が買ってくれたものは成人式向けの可愛らしいもの。
ミコには大人の女性を感じさせる
これから長い間締められるものをと思った。

幸い友達が呉服屋さんに嫁いでいて
今回ご主人と色々相談にのってくれ
保存状態の悪かった振り袖もきれいに染み抜きして
帯も気に入ったものを合わせることができた。

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振り袖の着付けに必要なもの一揃え
少しずつ買い足してきた。

私は引っ越しで留守なので
晴れ着姿は見ることができない。
母も元気でいたなら喜んだろうなと思う。
写真を送ってねとミコに言っておこう。

つい一週間ほど前
スマが職場の先輩が送別会だと、ご馳走してくれた夜
したたか酔ってお財布を落としてきた。
お財布の中には免許証、保険証、キャッシュカード
それからバイクを処分した現金7万が入っていた。
案の定出て来なかった。
先輩が泣いちゃって、呑もう呑もうっていうから
呑まないわけにはいかなったんだ、とスマ。
確かにこの三年、兄弟のように仕事で助け合ってきた仲。
やれやれとは思ったけれど
スマの心情ちもわからないではなかった。

引っ越しを前に色々買わなくてはならないものもあるし
免許証など急いで再発行してもらわなくてはならない
こんな時にと、本人もかなり落ちこんでいたし
さすがに身にしみたことだろうから
一人暮らしを前に気を引き締めるいい機会になったと思うことにした。
そんなスマにティファールはささやかなお餞別。
あと十日、スマの好きなものを作ろうと思う。

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三月になって急に子ども達のことで忙しくなったけれど
来月からは寅さんと二人の日々
色々暮らしの見直しもすすめている。
by sarakosara | 2016-03-21 17:19 | 家族のこと

雨水 さくらさく

空から降るものが雪から雨に変わることを意味するという
二十四節気のひとつ雨水の昨日、
待っていた春が来た。
仕事をしながら待っていた報せ。
午後一番にスマから届いていたラインを
夕方おそるおそる開くと、朗報だった。
さくらさく。

張りつめていた気持ちが
ふ〜っとほどけていく。

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お雛様を見にに行ったときに買ってきた
縁の地のお線香と匂い袋。
さくら咲きますようにと毎日祈った。

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一夜明けて、今朝の朝焼け。
夕方から荒れ模様と言っていたけれど
朝は春を感じる空だった。

そして予報通り昼前からしとしと降り始めた雨
夕方からは本降り。
一雨ごとに春が近づくと言う。
父の庭の梅ももうじき満開になりそうだ。

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スマが学生にもどります。
三年間仕事も頑張ったうえで感じたことをもとに
院でもっと深く学びたいと決めたことで
いい加減な気持ちではなかったので、応援することにしました。
三月いっぱい仕事をして、そのあと引っ越し
春から少し遠い地の人になります。

by sarakosara | 2016-02-20 18:29 | 家族のこと

閉眼法要

先週の日曜日は
祖父母のお墓の閉眼法要でした。

家を出てすぐに、細かな雨が落ち始め
祖母の涙雨だろうかと心が沈んだけれど
お寺に着いて、本堂でのお経のあと墓地に出る頃には
今にも泣き出しそうな空ながら雨があがり
墓前での法要も無事に終えました。

ご住職のお母さまも、
「ほら、お祖母ちゃんが雨をあがらせてくれた」
と、私の背中に手を当ててくれました。

小さな頃から祖母と母と幾度となく通った
お寺に続くゆるい坂道を歩きながら
祖母の歩みを重ねてみた。

生まれてすぐに祖父母の養女としてもらわれた母
その娘の私と祖母とは血縁はありません。
けれど、祖母から受け継いだものの大きさは計り知れない。

手を合わせること、
季節の行事を楽しむこと
日々の中で教えられた数知れないことごと。
情の深い人で、翻弄されることも多かったけれど
そんな激しさ、厳しさの中に、
あふれんばかりの愛情を注いでくれた祖母。

今回父が遺した大きな宿題に向き合い
ほんとうにこれでよかったのだろうかと何度も思案したけれど
若いご住職が
渾身のと思える心のこもったお経をあげてくださり
家族そろってこの日を迎えることができたこと
どこかで祖母がこれでいいよと言ってくれているように思います。

祖母が磨き上げた墓石から取り出された
小さな骨壺ふたつ。
北海道から初めての地へ
夫の遺骨を抱えて出てきた祖母の姿が目に浮かぶ。
おばあちゃん、ごめんね。

でも、ご供養を終え、
新しく供養塔へ並んで安置された祖父母の
ふたつの骨壺を見たとき
ほっと安堵の気持ちもわいてきました。

家にもどった時にまた雨が落ち始め、
夕方何の気無しにつけたテレビで
「ちびまる子ちゃん」がやっていた。
子どもがみなくなって何年たったろう。

ほんとうに久しぶりに、たまたまみた話は
ひまわりがいっぱい咲く畑で
まるちゃんが出逢ったおねえさんと、そのお祖母ちゃんの話。
亡くなったお祖母ちゃんの育てたひまわり畑をみながら
恋しく懐かしく思い出す、
いつまでも悲しんでいないでという、温かなお話でした。
単なる偶然だけれど
なんだか、祖母からの返事のように思えて
穏やかな気持ちになれた。

夏の終わりに、大きな宿題を終え
どっと疲れたけれど、安堵もしました。
by sarakosara | 2015-09-06 16:53 | 家族のこと

春のはからい

前記事の待ち合わせの前に
そこからほど近いところにある、実家の菩提寺に寄りました。

そこには、母方の祖母が北海道から出てきた時に建てたお墓と
私の母が亡くなってから父が建てたお墓が
二つ並んであります。

この時一度は決心した祖母のお墓の返還。
しかしその後もなかなか決心がつかず、
返還の区切りにするつもりだった父の三回忌でもやはり決断がつかず。
私の気持ちが整理できないのに無理をするのはやめようと
自然に事が運ぶまで懸案にしたまま、先送りをすることにしました。

それがここへきて急展開。
きっかけは、春のお彼岸の時にお寺へ納める護持会費を
うっかり一基分しか納めていなかったこと。


4月に入ってから、お寺から電話があり
遠慮がちに、今回の護持会費もう一基分納めてもらえますか?と。
うっかりしていたことをお詫びして
近いうちに納めに伺いますと返事をしたら
二基あるお墓の話になりました。

電話をかけてきたのは現ご住職のお母さま。
私が幼い頃から祖母や母と一緒にお墓参りに行くたび
可愛がってくださり
我が家の家庭事情もよくわかってくださっている方。

「さらちゃんももう他家へ嫁いだ身なのだし
これからずっとお墓を二つ守っていくのは大変なのじゃないかしら」
そんなふうに切り出してくれたのです。
それで、実は私もずっとそのことが気にかかっていたと
話すことができました。

それじゃ、いちどその事をちゃんと相談しましょうと言われ
keikoさんに会う前に
護持会費を納めがてらお寺に向かったのです。
ふたつのお墓を前にして
その件について話すことができ
祖父母のお墓を返還し、
別にお墓を建てた父の気持ちを慮り、
祖父母のお骨はお寺の供養塔に納めさせていただくことにしました。

永代供養もした方がいいのでは?
と、話したら
さらちゃんがそこまでする必要はないでしょう。
お寺の供養塔に納骨するから
その時にお経をあげるのだし、
これからもご両親のお墓参りの時には
一緒に手を合わせることもできるのだから、それでじゅうぶんだと。
正直、そう言ってもらって、
ほっと肩の荷がおりた気持ちがしました。

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こんなふうに事が運んだのは
いつまでも迷っていた私を
祖父母や両親が、もういいんだよと
背中を押してくれたのかもしれない
そんな気がしました。
お祖母ちゃん、ごめんね。
そして、ありがとう。

父も懸案にしたまま逝ってしまった気がかりが
ひとつ解決しそうです。

残る両親のお墓も
私がいなくなった時のことを考えて
いずれは決めていかなくては。
by sarakosara | 2015-04-13 23:07 | 家族のこと