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メンテナンス

ただいま冬休みまっさいちゅう。
宿題をひとつひとつこなしています。
一昨日は眼科に行って、検眼をしてもらい春からの仕事にそなえて
老眼鏡の処方箋を作ってもらいました。
右眼は若い頃からの近眼だったのですが
左目も年季の入った乱視で、ほとんどぼやけて見えない状態。
長年片目だけで見る生活に慣れてしまっているせいで
なまじ左目に度を入れて視力をあげるとかえって見づらくなるとのこと。
左は素通しか度なしのガラスだけのほうがかえって見やすいし、
眼も疲れないのですよ、
眼鏡屋さんにこの処方箋を持っていくと変だなと思われるかもしれませんが
これでいいのですよ、と言われました。
たしかに乱視の方は度無しのほうがぐっと見やすい。
見えないほうがいいということもある、う~ん深いなあ。
眼科で検眼してもらってよかった、
明日は眼鏡屋さんへ行こうと思っています。
ところでこの老眼、中国語では花眼(フアーヤン)って書くのです。
なんで花なのかはわからないのだけど、
もうひと花咲かそうか?というお年頃には案外いいネーミングかもしれません。

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そして昨日は宿題と言うよりも、冬休みのお楽しみで、
友達のそらさんと、映画を見にでかけてきました。
見たのはカトリーヌ・ドヌーブ主演の「しあわせの雨傘」
若い頃の作品「シェルブールの雨傘」にかけた邦題でしょうが、
歳をかさねたカトリーヌ・ドヌーブがとってもチャーミングで、
若い頃よりもむしろ魅力的にみえたくらいです。
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設定は1970年代後半。
フランス映画らしい、時代を感じさせてくれるおしゃれや、
ちょっと皮肉っぽい表現や、ウィットに富んだ会話。
日本人とはまた違った感性も楽しみながら見ることができました。
深い感動を残すというのとは一味違うけれど、
ひとりの女性が必要とされて活き活きと変わっていく様子は
特に共感という意味では中高年の女性には支持されるはず、
微笑ましくて頼もしくて元気になれる映画でした。

そんなわけで元気になったそらさんと私は街へ出て、お昼ご飯におしゃべり。
今の話、少し先の話。
自分ではまだまだ若いつもりでも
誰しもこれからちょっとずつあちこちに不具合が出てくる頃。
早目から少しずつメンテナンスして、これからも元気で過ごせるといいねと話しました。
そらさん、楽しい時間をありがとう。

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というわけで、今日はまたひとつ冬休みの宿題
そらさんも通院中の歯医者さんへ。
何より苦手な歯医者さんなので、ついつい歯医者さんの前を遠回りしてきたけれど
そんなこと言ってる場合じゃありません。
今回わが町でもなかなか評判のいいところへ予約をとって行ってみました。
とても丁寧に説明してくれて、少し長くかかりそうだけれど
すべてちゃんと治してもらうことにしました。
食べることは生きることだもの、
なるべく長く自分の歯で食べられるように
しっかりメンテナンスしておこうと思っています。
by sarakosara | 2011-01-28 15:54 | 日々 | Comments(20)

私と旅を

伯母からもらってきた形見の品々。
好きなものを選んで好きなように持っていってね、
長男のお嫁さんからそう言われて、妹と従姉妹と三人であれこれ。
おしゃれが好きで出歩くのも好きだった伯母でしたが
一人暮らしのタンスの中はきれいに片付けられていて
針金ハンガーには使わないタオルやハンカチが丁寧に巻かれ、
衣服が傷まないように、ずり落ちないようにとの工夫と心遣い。
おばさんらしいなって思いながら
これは○○ちゃんが似合いそう、
あ、これリメイクしてみようか。
これはあの時に伯母さんが着ていたよね、思い出話もまじえながらの時間。
断捨離はどこへやらで、
新品同様の薄での電気毛布までもらってきてしまいました。

その中でも私がとても気に入ったのがキャスターつきの旅行カバン。
旅好きだった伯母らしく、キャスターつきのカバンは5つもありました。
ひとつは大きすぎてみんな却下。これはきっと伯父と出かけていた頃のものでしょう。
ひとつは壊れていて使えず、
従姉妹と妹が選んだのは中くらいの大きさで、
私が選んだのはいちばん小さなサイズのもの。
こぶりで一人の小旅行にはちょうどいいのではないかと思う大きさです。

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それがさっき前記事を書きながら
一昨年の箱根旅行の写真をみていたら、その時に伯母が持って歩いていたのが
このバッグだったみたいなのです。
昨日は妹が選んだバッグがたぶんその時のだよねと話していたので、
写真をみながら、あれっ?っとびっくり。
思い出の4人旅のときに伯母が持っていたバッグが奇しくも私の手元にきてしまいました。

伯父亡きあとも、子供家族や友達と
80代とは思えぬ行動力で歩いていた伯母ですが
晩年は荷物も最低限にして重くないように、こんな小さなカバンを使っていたのでしょう。

同じく旅好きの私。
このコンパクトな旅行カバン、いたく気に入ってしまいました。
伯母の歳までには40年近くあるけれど
大切に使って、元気でおしゃれだった伯母にあやかりたいと思います。
頼もしい旅の相棒になってくれそうな、そんなカバンです。
by sarakosara | 2011-01-24 10:30 | | Comments(14)

つなぐ人

昨日は11月の末になくなった伯母の形見分けがありました。
ごく身近な家族のそれを終えたあと、
姪っ子二人と私、三人だけが呼ばれての形見分けでした。
伯母は15年前に亡くなった義父のお姉さん。

亡くなる一ヶ月前の昨年10月には
伯母を囲む会があったばかり。
その時のことは観覧車という記事に書いたのですが
それからひと月後にもういなくなってしまうとは誰も思っていませんでした。
今年の春には90歳をむかえるはずだった伯母、
またお祝いをしようねと約束ができるほど元気にみえました。

寅さんと結婚していなければ縁することもなかった伯母、
その形見分けになぜ私が実の姪ふたりと一緒に呼ばれることになったのか、
ここまでの伯母との時間をふりかえりながら
一度自分のためにも書いておこうと思います。

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伯母とは義父がなくなった15年前から少しずつ手紙のやりとりをするようになっていました。
義父からバトンタッチされた義母の介護を心配して
義母や私を気遣うものでした。
最初は寅さんと私連名で来ていた手紙でしたが
もともと伯母も私も手紙好き
好きな絵や旅の話など共通の話題もあって、
いつしか宛名は私だけになり、伯母と私の文通のようになっていました。

義母がなくなってからも、何かの折には手紙の行き来があり、
旅先で買ってきた絵葉書でのことも多かったように思います。
ちょうど一昨年の夏にも、87歳にして家族の付き添いもなく
同年代の友達と二人で連れ立って出かけた北海道の風のガーデン。
どうしても行きたかったのと言う伯母は少女のように喜んでいましたが
それから間もなく脳梗塞を起こし一人の自宅で倒れました。

幸い軽く済んだのですが、いつまで旅に行かれるかもわからないからと
快気祝いをかねて、その年の12月に、
伯母と一緒に、義妹と、従姉妹、そして私、女4人で旅行にでかけたのです。
妹も従姉妹も伯母の弟の娘、
そんな実の姪っこ二人に私がまざって一緒に旅行に行ってもいいのだろうか、
なんで私が?という気持ちも実はありました。

その時に書いていた文章から少し抜粋します。


伯母は三人姉弟のいちばん上、
三人年子とはいうものの、早くに母親をなくしているので
まだ多感な年頃の弟達の精神的な母親代わりもしたようです。

昔々の懐かしい写真も旅行に持ってきてくれました。
伯母達の結婚式の写真もありました。
戦時中だったそうですが、伯母夫婦はもちろんのこと、両親や下の弟
話にきいていた聞き覚えのある人たちがそろっています。
そこに義父の姿がないのは学徒出陣で満州に行っていたころとか、
その出征の時も「私が親代わりに見送りに行ったのよ」と話してくれました。

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今回の旅行で話すうちに伯母がこういいました。
あなたは私にとっの実家のお嫁さん、
ひとつしかない大切な実家の大切な人なの。
ここにいる二人にとっても、あなたのところが実家なのよ。
そうだったんだ・・とあらてめて思いました。
そして、思いがけず義父の言葉もきかされました。
弟はね、あなた達夫婦が結婚してすぐに妻が倒れてしまい
お嫁さんのあなたにはほんとうに申し訳ないことをした、可哀想なことをしてしまったと
いつもそう言っていたのよと。
そういう伯母の顔の中に義父の顔が重なってしまいます。
義父の想いのひとかけでも私はわかっていたのだろうかと、
今回伯母と話しあえてほんとうによかったと、そう思いました。



義父とは義母の介護を通して、互いにほんの少しだけわだかまりがありました。
義父は元気だったら父と同い歳、
夫と七つ違いの私のことは結婚当初からとても可愛がってくれました。
ただ、こと義母の介護のことになると
私に妻を託すのは心もとない気持ちをずっと持っていたようでした。
自分がいなくなったら妻は大丈夫だろうか、
それがいつも義父の気がかりだったようです。
一度だけ義母の介護を通して義父とぶつかったことがありました。
なんで信頼してくれないのだというもどかしさとさびしさで
義父にくってかかりました。
でも今思えば、なんであんなにむきになったかといえば
義父がいてくれることに甘えて、
子供のことにかこつけて義母のことを任せきりにしていた自分がわかっていたから
そんな自分をそれとなく指摘されたような後ろめたさもあったのだと思います。

そんなことがあってから二年もしないうちに
思いがけずあっけなく旅立った義父。
それから始まった義母の介護は、
お義父さん、私だってちゃんとやってみせるから、と
半ば義父への意地のようなものを原動力に始めたところがありました。
そのうちに義母の天真爛漫な人柄にたすけられて10年。
その間には互いに好きなことが言える間柄になり、
義母とは心から気持ちが通っていると思えるようになったのですが、
なき義父とは、どこかに信頼してもらえなかったような
小さな骨が刺さったままのような気持ちを心のすみに持ち続けていたような気がします。

義父と伯母は面差しがとてもよく似ています。
伯母と話しながら、私は時々義父の面影を感じて、
伯母を通して、なき義父と話しているような不思議な気持ちになることがたびたびありました。


伯母の語る言葉の中から、少しずつ義父の想いがつたわっていたのです。
なんとなくそんなことを感じてはいたのですが
今回伯母をなくして、やっぱりそうだったんだとあらためて思いました。
伯母にしたら、それは意図したことではなかったでしょうが
義父がなくなってからも続いてきた、そんなひとつひとつの時間の中で
伯母は義父と私の中のわだかまりを、少しずつ少しずつ溶かしてくれていたような気がします。

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伯母がなくなってしまった時に、伯母の中にみていた義父との時間も終わりました。
さびしいけれど、私の中にあたたかな思いも残してくれました。
私と義父をつないでくれた人、
最後にいただいたもの、大切にしていきます、ありがとう、伯母さん。
by sarakosara | 2011-01-24 10:29 | 想う

白い道 

Nちゃん、昨日トーストにバターをいっぱいぬって食べたよ。
雪印ならよかったんだけど、もうちょっと安いバターだったの。
おまけに冷凍してあった食パンだったから、どうもパッとしなくて
Nちゃんがご主人に焼いてあげたトーストはきっともっと美味しいだろうなって思った。
だから今日またパンを買ってきました。
3枚140円の食パン、ちょっと奮発して、いつもよりちょっぴり高い食パン。
明日の朝バターたっぷりつけて食べるね、
きっとNちゃんが焼いたトーストみたいな味がすると思う。
あったかいもの食べていれば、元気がでるから、ね。
みんなで一緒のものを食べていれば、あったかいよ。
Nちゃんの家族はきっと大丈夫。
無責任だから言えるのかもしれないけれど、でもそんな気がするんだ。
聞くことしかできないけれど、なんでも話してください、書いてください。
そしてからだに気をつけて、この冬をのりきってね。


そして、Hさん、
ほんの少ししか言葉を交わしたことはなかったけれど、
時々読ませてもらっていました。
私にはかける言葉もみつからなくて、読み逃げばかりでごめんね。


高校生の頃だったでしょうか
NHKのみんなの歌で、「白い道」という曲があり
その歌が好きでした。
北国の冬は厳しく辛いものでもあるだろうけれど
真っ白な雪景色は私の心のふるさとの風景みたいでした。


どこまでも 白い
ひとりの 雪の道
遠い国の母さん 今日も
お話を 聞いてください
あれからもう 三年過ぎ
この道に また白い雪
サラサラ 鳴ります

北国の 冬は
きびしく 辛いけど
母さんと 歩いた道は
あたたかい 思い出だけ
れんげの春 トンボの秋
忘れません 声をあわせ
うたった あの歌

あしたも この道
歩きます ひとりで
母さんが 歩いたように
風の中も 負けないで
いつか 春の風が吹けば
歌いましょう あの日の歌
ひとり この道で






この歌をきいていた頃の私はぼんやりだったから
地方から上京してきた若者が、故郷の母を思う歌だと思っていました。
それがつい最近、この歌は
亡き母を想う歌詞だったと偶然知ったのです。
原曲はヴィヴァルディ作曲の四季の中から 『冬』 の第2楽章。
私がこの歌を初めて聞いていたころは、まだ母は健在でしたが
なくなるほんの数年前でした。
それから30年以上たった今ごろになって
はじめてその意味を知った。
そうだったんだとしみじみ思いました。

Hさんが私のブログを読んでいるかどうかはわからないけれど
この曲をHさんへ。
そしてNちゃんへ。
by sarakosara | 2011-01-21 21:32 | 想う

さざんか日和

さして何をしたというわけでもないのに、一日はあっという間。
仕事をしている時はあれほど欲しい欲しいと思っていた自由時間なのに、
いざそんな時間が手に入ってみると、あれもまだ、これもまだとなる。

昨日で工事の足場も片付いて、
一応昨年から引き続いていた片付け仕事もひとだんらく。
さぁいよいよこの時期にと思っていたことにも少しずつ本腰でとりかからなくちゃ。
ぜんぶリストアップしてみればいいのかな。

今期はこんなことも勉強してみようかと。

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エクセルも実際の仕事では使ったことがなくて、
スマの使っているテキストを貸してもらって一からはじめてみました。
パソコンに向かっているのは嫌いじゃないから、これは今のところけっこう楽しい作業。
もちろん仕事で使えるレベルには無理としても、
まぁぜんぜん使えないよりはね、ってことで。

そしてもうひとつは中国語検定4級の勉強。
事は隠密裏に・・・とも思ったものの、
あえてここで書いてしまえば
そう簡単にや~めたと言えないから。

このあいだから少しずつはじめてみた結果、
ヒアリングは思っていた以上のまずまずのできばえ。
ところが発音記号にあたるピンインとか、四声になると、
そもそも知らない単語がぞろぞろ出てくる。
これは決定的に語彙数の不足。
ひたすら暗記なのかなあ、単語のいいおぼえ方、語彙数の増やし方ってあるのかしら。

午後の日差しを背に受けて、うらうらとさざんか日和、知らずにかっくん。

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いけない、いけない。
自由時間、好きなようにもいいけれど、何か目標があってもいいな、
ということで、3月末にある試験を受けてみることにしました。
6月に受けようか、3月にしようか迷ったけれど、
3月ならちょうど仕事が始まる前のしめくくりの時期になるし、だめでもともと、
中国語を習い始めて3年目の冬休みの課題として。
by sarakosara | 2011-01-19 08:24 | 日々 | Comments(16)

お汁粉を食べながら

今日でおおかたの屋上の工事が終わりました。
常時5人前後の職人さんが入ってくれて
ずっとお天気には恵まれていたとはいえ、寒空の下での連日の作業。
お疲れさまの気持ちもこめてお汁粉を作りました。
西日本ではぜんざいと呼ぶ粒のあるものも
関東ではお汁粉と言うことが多いようですが、美味しさは全国共通。

ふだんは餡子の缶詰をお湯でのばして作ることも多い私も
時間のあるときは、やっぱり小豆から煮るのが冬の楽しみ。
特に昨年デビューしたばかりの昔ながらの石油ストーブを使い始めてからは
よりいっそう、その楽しみが増しました。

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そして今回は、やっとお餅解禁の嬉しさも手伝い、
朝からストーブの上にいそいそとお鍋をおいて。
いったん冷まして、落ち着かせて、またほたほた・・
小豆のいい香りがいっぱい。
職人さん達も、思いがけなくて美味しかったと喜んでくれました。

私もお昼に寅さんと二人で一足先に。
ほわほわとたつ湯気、
ああ、やっぱり美味しいねえとふぅふぅ。

そんな今日寅さんに、実はねと
ちょっと笑い話みたいなことを話していました。

その話とは、前記事の用足しというのは市役所に戸籍謄本をとりに行ったのですが・・
戸籍謄本を申請する用紙に書き込みながら
ハタと気づきました。
戸籍はここじゃなかった!と。
窓口に出す前に気づいてよかった。
結婚してからもうじき25年も経とうというのに、いまだに自分の本籍地を間違えるなんて(汗)

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私はいままでに戸籍が三回変わっています。
生まれた時は北海道の札幌にありました。
正直言っていちばん好きな戸籍です。
札幌には一度も住んだことはなかったけれど、
祖父母のかつて住んでいたその場所が大好きでした。
ただ戸籍謄本が必要なたびに札幌の祖母に頼んでとってもらっていたので
父も高齢になった祖母に頼むのを申し訳なく思って戸籍の移転を決めたのでしょう。
戸籍を移すと父から聞いたときは
いたし方ないとはいうものの、とても寂しく思ったのをおぼえています。
そして今住む埼玉に戸籍が移り、
またそれから数年後に結婚して寅さんと一緒の東京の幡ヶ谷という場所に変わりました。

なにげなく過ごしていた25年でしたが
戸籍謄本をとる機会というのはあまりないので
無理もないといえば無理もないし、
それだけ愛着もわきにくいのかもしれないけれど、
本籍地を間違えそうになったことにちょっとびっくりしたのもほんとうのところ。

思えば結婚してからも、しばらくは新しい苗字にとまどったものです。
まして本籍地、嫁いでその地に移り住んだのならまだしも
寅さんすら住んだことのない土地。
これは間違えても無理も無いよなぁと思うのは私だけ?かな。
by sarakosara | 2011-01-15 23:42 | さら子の皿 | Comments(18)

遠い雪の日

用足しにでかけた午前中、
日差しがおだやかにその家の窓にさしこみ、
するっと手際よくカーテンがたぐられて、
左右対称にふんわりと整えられた。
カーブを描くカーテンに隠れて、その人の顔は見えないけれど、
きっと心地よく掃除のされた部屋には
冬の光が部屋の奥まで差し込んでいることだろう。
いいなあ、お母さんの整えた部屋。
なぜかふっと、そんなふうに思いながら、昔のある日が思い出されたのです。

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遠い冬の日。
私はまだ小学生で、その日は今日とは違う雪の日でした。
いったん登校したものの、大雪の予報に授業は打ち切られ午前中で下校となり、
すでに乗ろうと思っていたバスは運休。
それでも大雪は子供心をわくわくさせるもの、
バスで30分ほどの距離を寒さなんか気にもせず友達と歩きとおして帰ったのです。

家のそばで友達と別れてから
私は家の玄関に向かわず、庭の方へまわり
いつも鍵が置いてある雨戸の内側の桟を手さぐりしてみました。
あれ?鍵が無い。
おばぁちゃんいつもの老人センターのお風呂に行かなかったのかな。
縁側の踏み石に乗って、そっと家の中をのぞくと
電気のついた茶の間の障子の硝子から、母の背中。
えっ、お母さんがいる!
バタバタと玄関の方へもどり、思い切りドアをあけると、ただいま~と大きな声で言いました。
お帰りなさい、と母の声。
お母さんいたの?仕事行かなかったの?
嬉しくて舞い上がらんばかりの気持ち。
保険の外交の仕事は自分で仕事の段取りができるとはいうものの
めったなことでは仕事を休まなかった母。
しかしこの日は、ちょうどどうしてものお客さんとの約束がなかったのだろうか
めずらしくこの雪に仕事を休んだ母でした。

寒かったでしょ、シチューを作っておいたよ。
私の大好きなクリームシチュー、きっと帰ってくるだろうとふんで
作って待っていてくれたのでしょう。
学校は早帰りになるし、
お帰りなさいと母がいたし、
一緒に炬燵に入って熱々のシチューを食べる幸せ。
ただただ、そうしている時間が私のすべてを満たしてくれたあの雪の日のことは
今も鮮明におぼえています。


今日のような晴れ渡った冬の午前中。
なぜにそんな遠くの雪の日のことを思い出したのかわからない。
でも、見も知らぬ家のカーテンがするっとだぐられたのを見たときに
その陽だまりに、なぜか遠い雪の日が思い出されたのでした。
by sarakosara | 2011-01-12 19:35 | 思い出小箱

お餅はおあずけ

一昨日の夜中、私を起こす声、
小声で遠慮がちにスマでした。
どうしたの?もう朝?と思いながら眠い眼をこするとまだ夜中の2時。
眠る前から少しお腹が痛むといいながら
早々に寝たスマだったのですが、結局その時間まで眠れなかったようで
吐き気と腹痛が我慢しきれないほどになったと。
起きてみれば、その症状はかなりきびしく
寅さんも起こして時間外の診察を受けに近くの病院まで。

やはり様子が少しきついとのことで、そのまま点滴を受けて血液検査。
結果、白血球の数値は高いけれど、
たぶんウィルスの感染か、食中毒だろうということで、
安静、絶食を言われ、家にもどってきたのが明け方5時少し前でした。

やれやれと、私は冷えた身体をあたためてからもう一度寝ようと
ブログのお返事など書いていたら、
だんだんお腹がきゅ~っと痛くなってきました。
あれれ、おかしい、こりゃまずいと、早々に布団にもぐったものの、
身体を折り曲げなくてはいられないほどの痛みと、胸のむかむか。
スマから移ったのか?
それにしちゃ早すぎるし、
夕飯は寅さんも一緒だから、夕飯のものじゃないだろうし、
スマと同じといえば、前日昼に買ってきた調理パン?
結局、原因は不明ながら、スマほど激烈な症状ではなかったものの
私も一日だるくて、気分が悪くて何も食べられませんでした。

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実は昨日はスマの成人式だったのです。
夜中に病院に行った時点で、これはもう無理だねと、寅さんと。
この日のために、レポートも早く仕上げなくちゃと頑張っていたのに、かわいそうに。
ずっと元気だったのに、よりによってこの日なんてね・・・
最初はみんなの顔だけでも見に行ってこようかなと言っていたけれど、
熱もあがってきて、本人もあきらめました。
式はまだしも、せっかく懐かしい友達に会える機会。
夕方からは、中高の同期会もあって、すごく楽しみにしていたスマ。
スーツも大学の入学で使ったものでいいよとスマも言っていたので
せめて何か新しくしようと、ワイシャツだけ、淡いピンクのものを新しく買いました。
前夜用意してあったワイシャツがリビングにぽつりとあるのも切なくて
早々にタンスにしまいました。
これが晴れ着をそろえた女の子だったら、泣くに泣けないかもね・・
なんて慰めにもならないこと言ってみたけど、
まぁこればかりは何ともしてやれないし、ちょっとほろ苦い成人式になってしまいました。

これから受験シーズン、試験当日にスマみたいなことになったら
それこそ、可哀そうじゃ済まないだろうし。
二年前の大学受験、体調にひやひやした頃を思い出しながら
どうぞ受験生のみなさん、身体に気をつけてと思いました。

スマはもちろん絶食だったけれど、
私も夕方に少し調子がよくなったからと、リンゴをひとくち食べたらもとのもくあみ。
けっきょく昨日はそのリンゴひとかけだけでした。
でも気分が悪いから、食欲もぜんぜんなくて、絶食が苦にならない。
昨日はよく寝て、図らずもの断食。
今日は心なしか、お肌も透明感がでて、すべすべになったような気がします。
私は今朝は食欲も回復したけれど、おそるおそるお粥を少々食べただけ。
お正月にしっかり食べていたツケ、ここらで少し清算できそうです。
スマも熱がさがりました。
食欲はまだ無いみたいだけれど、今日はどうしても出なくちゃならない実験があるからと
明日休んでも今日は大学へ行くと出ていきました。

鏡開きの今日ですが、我が家のお餅はもう少しあとになりそうです。
by sarakosara | 2011-01-11 10:26 | 日々 | Comments(14)

福の神のゆくえ

前記事にも書いた冬季の派遣のお仕事。
今までにしたのは、某私立中学の受験願書のデータ入力と、
変わったところでは、宝くじ売り場の呼び込みの仕事がありました。

これは売り場の中で売る売り子さんではなくて
外にプラカードを持って道行く人に呼び込みをする仕事です。
一日でけっこうな金額になるので二日間の契約ででかけました。

しかし、冬空の下午後からはビルの影で日もささず
声はかれるし、足は一歩も動かなくなるほど冷え切り。
こんなに辛い仕事だったとは思いもせず、二度とやならいと固く誓いました(笑)
そしてそれ以来、寒い時、暑い時に街角に立って呼び込みをする人をみると
もう他人事とは思えないほど、ご苦労さま~と声をかけたくなってしまいます。

ただこの時の役得で、売り場の中で好きな番号の束を選んで買っていいよと言われ
派遣代が少し惜しいなあと思いつつ、夢を託して買ったグリーンジャンボ。
果たして、結果は・・残念でした。

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昨年の年末ジャンボ、北海道北見市で6本総額6億円の大当たりが出たとか。
ひょえ~ すごい、こんなに一点に集中することもあるのですね。
今が大変な北国のこと、
なんとなく明るいニュースでこちらまでほっこり、
よかった、よかったと思いました。
それにしても我が家に来ない当たりくじ。

屋上の防水シートの張替えもいよいよ始まります、
こちらにも、福の神さまどうぞいらっしゃいませ。
by sarakosara | 2011-01-08 17:44 | つぶやき | Comments(10)

思案橋ブルース

今年も私の長い冬休みが始まりました。
私の仕事は企業健診の健診結果の処理で
コンピューターで打ち出されたデーターを目視でチェックし修正を赤で入れていく
いわゆる校正のような仕事です。
忙しいのは春から秋の健診シーズン。
仕事が暇になる一月から三月までほぼ休みになります。
この仕事について10年と少し。

最初はミコが小学校の時に仲良しだった友達のお母さんから誘われたのがきっかけ。
義母の介護はあったけれど、自分のお小遣いくらいが働けたならと
そんな気持ちもあったので、渡りに舟。
一日三時間くらいでもいいし、急な休みもオッケー。
夏と、特に冬は仕事が暇だから、長期の休みもあるよと。
子供たちの長期休みや、義母の介護というハードルのあった頃だったので
願ったり叶ったりの仕事でした。

それから一日三時間が5時間になり、
義母なきあとは、フルタイムになり、今にいたっています。
その間に、健診結果部門のパートは少しずつ増えて現在は7人。
上司呼ぶところの「7人の侍」といわれる彼女直属のパートは、その中でも5人と2人に別れ、
5人は発送部門、2人は健診結果のチェック。
私はチェックの仕事なので、その上司と直接連携の形で仕事を進めていきます。
互いにダブルチェックをする仲というのは、
相手のミスを確認する作業、とてもデリケートな部分もあって
以前も少しふれましたが、
三年前の暮れには、ささいなことから彼女とぶつかった私。
でもそんな時を経て、今の信頼関係はより深いものになったような気がします。
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そんな昨年職場が移転、複数の部門が一緒になって、
あらたなスタートをきりました。
コンピュータの結果もチェックしやすく改善されたところも多くある一方
打ち出しの文字が以前より小さくなり
老眼適齢期の私には、正直少々しんどい仕事になってきました。
しんどいだけなら自分の問題だけど、
結果のチェックにミスがあったら、それこそ大問題。
眼鏡をかけたり、はずしたりしながら何とかこなしているものの、
ダブルチェックをしていても、心配はぬぐえないし、
事実、一番小さな数字の見間違えが以前より増えました。

仕事も繁忙期は一日中デスクにへばりついて、
後から後から押し寄せる結果に疲れはピーク。
新しいシステムに慣れるまでの初夏のあたりは、いちばんきつい頃でした。

そんな頃から、そろそろいつまでも続けられる仕事じゃないないなぁと思い始めたのです。
そんな気持ちがまたいちだんと強くなったのが
一年ふたつ目のピークの秋。
そしてもうひとつ、10月末の寅さんの誕生日の頃にも
寅さん来年は定年なんだよな・・と。
今の出向先にはまだ籍がおけるはずだけど、たぶんお給料はかなりダウンすると思われ。
私も今までは扶養の範囲でなどと暢気な稼業だったけれど
もうそんなこと関係なくなってくる。
これからの生活設計のことも考えていきながら
私も、もし転職するなら、少しでも早い方がいいだろう、そんな気持ちもありました。

しかしながら、やめるには一ヶ月前に言わなくてはならないし
友達に相談しても、ぜったい次の職場を決めてからやめた方がいい、
そんなにおいそれと仕事はないんだよと。
50代に突入してはや二年。
もちろん私も言われるまでもなくわかってる。
それなら仕事が暇になる冬場を前にやめるのが一番かも、
どうせ仕事の無い時期だから、覚悟して職探しができる。
繁忙期に急にはやめられないから、冬なら職場や上司にも迷惑がかかりにくい。
そんな想いがピークに達した12月の初め、父が抜歯後の化膿が原因で体調をくずしたのです。

職場に電話があり、すぐに早退させてもらって都内の大学病院へ。
それから三日おき、そして一週間おきへと、病院通いが続きました。
88歳になる今までは、よほど具合の悪いとき以外
病院へのつきそいはいっさいなし、定期的な通院も父一人ですませてきたけれど
今回ばかりは父の方からついてきてもらいたいと。
昨年の夏から急に体力の落ちてきた父、
これからはこんなことがますます多くなってくるんだろうなと実感した12月。

そんな時に、気心のしれた今の職場、
家庭の事情も私の状況もよく知っていて
付き添いのための半休も言い出しやすく、とても助かりました。

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さて、どうしよう。
新しい職場に移ったとして、出勤早々、父の付き添いでとしょっちゅう言えるだろうか。
ここで、思考のどうどうめぐりが始まります。

いつまで今の仕事はできないだろう→転職するなら早いうち→父のことあれこれ→それなら今の職場→
今の職場の賃金ではやりくりがきつくなる→転職するなら早いうち・・
口ずさむ、思案橋ブルース。

暮れのパート友達だけの本音忘年会では
気心の知れた友達ばかりなので、正直な今の気持ちは伝えました。

お正月には、上司からも
春からまた忙しいですよ、頼りにしています、今年もどうぞよろしくと年賀状。
そんな気持ちも痛いほどわかってよりいっそう迷います。
とりあえずこの一年で変化する状況、自分の状態
そして父の体力など、何らかの道筋が把握できるかもしれないと思い
今年の暮れまで答えは保留することにしました。

一昨日も父の病院通い初出勤。
休みで時間があるので、ゆっくり父につきあえます。
診察が終わってから、一休みしていかないかと父。
それならと、病院内にあるフードコートに行きました。
明るくてきれいな大学病院、
ミコがずっとアルバイトをしてきたコーヒーチェーンがあったのでそこに入りました。

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しばらく父とおしゃべり。
こんな時間を父のために作れることも大切なんだろうな。
この冬は先々に向けたスキルアップや中国語のレッスンもがんばろう。
この季節にね、との約束もいっぱい、そうだ歯医者も行かなくちゃ。
予定は欲張りてんこ盛りです。
この時期のために登録してある派遣会社でも、
短期の仕事があったら、みつけてみようかと思っています。

自分で決めなくちゃならないことはわかってる、
でも明日のことだってわからない。
まだせっぱつまってはいないけれど、なんとなく変化する一年、
思案橋ブルースを口ずさみながら、考えすぎず、考えていこうと思っています。
by sarakosara | 2011-01-08 17:22 | 日々 | Comments(10)