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いよいよスタート

一昨日と昨日は友人が上京、一週間早いお泊りひな祭りでした。
そのお話は次回ゆっくりと思っているのですが
いよいよ昨日からスタートしました。

何が?
by sarakosara | 2011-02-26 11:10 | つぶやき | Comments(24)

お雛さま

土曜日にお雛さまをだしました。

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ミコが生まれたのは2月のはじめ、
初節句までひと月もない時でした。
さあ大変、お雛さまといえば、母親の実家の親が買うことが多いんだよな、
早くしなくちゃ、どうしようか。
父はきっとそこまで気が回らないだろうなと思っていた時
寅さんの両親が買いに走ってくれました。

当時はアパートに毛がはえたような小さな賃貸マンション、
そこでも置けるようなものをと思案してくれたようで
木目込みのまあるいお顔が可愛らしいケース入り。
まだ首もすわらないミコには何がなんだかわからなかったでしょうが
そこだけ、ぱっと花が咲いたように明るく華やかになりました。

たぶん義母が選んだのでしょう。
ちょっと義母に似たふんわりとまるいお顔をしています。

木目込みの可愛いお雛さまは、
ミコのいない今年もリビングで花が咲いたように鎮座まします。


明日は友人がお泊り上京。
少し早いひな祭りです。
by sarakosara | 2011-02-23 22:57 | 家族のこと

非常時に思う

昨日は叔母のお供ででかけ、
帰ってから夕刊を郵便受けからとると、1面にNZ地震、死者多数の見出し。
NZ?一瞬ひやり、
どこだっけ?
ああ、ニュージーランドだ。
海外というと、とっさにミコのことを思います。
次第に地震の全容がわかってくると、
日本の留学中の若者も多く巻き込まれていると。

実は昨年のミコのアメリカ行き
ビザがとれずに難航していた時に、代替地としてニュージーランドがあがりました。
ニュージーランドなら比較的楽にビザがとれるから変更したらどうですかと提案があって
ミコも少し迷ったと思います。
結局ミコはアメリカが諦められずに、そうこうしているうちにやっとビザ取得という経緯がありました。

もしかしたらニュージーランドだったかもしれない、
もしかしたら今回の地震に巻き込まれていたかもしれない
そんなふうに思うと次々と流れるニュースの若者がみんなミコと重なってしまいます。

安否を心配する家族にとってこんな時にいちばん欲しいのは情報だと思います。
今回は携帯電話やネットを通しての情報もずいぶんあったようで、
グーグルが安否確認のためにシステムも立ち上げたとか。
フェイスブックもかなり役立っているという話もききました。
情報が氾濫する現代だから取捨選択は必須だけど
こんな非常時にはありがたい手段にもなると思うのです。

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そういえば地下鉄サリン事件があったとき、
営業でちょうどそのあたりをあちこち歩いていた寅さん
巻き込まれていやしないかと気をもみました。
当時はまだ携帯がなくて
とりあえず会社に電話をしてみたものの、
無事の報せがあるまでずいぶん心配した記憶があります。

その点今は携帯メールで容易に連絡がとれる
海外にいるミコとさえ、まるで隣町にでもいるように
ウェブ上のGメールを使って携帯で交信できるのですから時代は変わりました。

しかし一方では、いつでも連絡がとれるはずの携帯だからこそ
それでも連絡がとれないときには
よりいっそう不安が深まるということもあるのでないかと思います。
まだ不明者は300人ほどもいるとか。
瓦礫の中の人たちが少しでも早く、ひとりでも多く助けられますように。
by sarakosara | 2011-02-23 18:46 | 想う | Comments(12)

ふるさと記念日

Eちゃん、これが私のカメラから見えた光景です、
この風景を見ていた私をみつめてくれてたんだって、
Eちゃんのきさらぎ記念日に胸があつくなりました、ありがとう。
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一年って早いね。
あの日一緒に歩き始めて、じきに二回も雪道ですべって転んだ私。
照れ笑いしながら立ち上がって
ちょうどその最初に転んだ頃だったと思うけど、
ちょっとピンボケになっちゃったけど
私がこんな月を見ていたの気づいていたかな。

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まひるの月、いや、夕暮れの月。
こんなふうに青い空にぽっかり浮かぶ月をみると、
ちょっとシャイで、でもいつもやさしくみつめる
Eちゃんのことがぽっかりうかびます。

母の生まれ故郷静内の桜を届けてくれたこともあったよね、
あの山桜は私の望郷の色。
私が北海道への想いを綴り
アンジェラアキのHomeという歌が好きだと書いたときに、
私も好きな歌ですと。
サクラ色とリンクしたこの曲は、母の生まれたふるさとを思わせる歌です。

ふるさと 
絶えずに愛してくれた
そんな人の顔を
もう一度見てみたい 
郷愁にかられ 
あなたを呼んでいる


今も祖父母が最後にいた町にいるEちゃん。
by sarakosara | 2011-02-21 06:46 |

鯨法会は春のくれ

一週間前の三連休の一日、寅さんと日本橋に用事があったので
ちょうど三越で開かれていた「没後80年 金子みすゞ展」も一緒にとでかけました。
小雪のまじる冷たい雨の降る日。
その前日は関東では思いがけない大雪でした。

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私がはじめて金子みすずを知ったのは、ミコが小学生の時の教科書だったと思います。
それは、今はあまりにも有名な「わたしと小鳥と鈴と」だったか、「大漁」だったかは忘れたけれど
とても印象的で、すぐに詩集を買いました。

金子みすずは明治36年生まれ。祖母と同じ時代を生きた人でした。
本名テル。
二十歳になった頃からみすゞのペンネームで書き始め、
書きはじめてじきに、早くも西條八十に見出されていたそうなのですが
亡くなったのが26歳と、あまりに早かったというのもあるのでしょうか、
その作品たちは長いあいだ埋もれたままだったようです。

ある一編の詩に出会った矢崎節夫さん(童謡詩人で、金子みすず記念館の館長)という方が、
ずっとずっと他の作品を探しもとめ続け
その執念が実ったのか、実弟の上山雅輔氏とめぐりあったのです。
上山氏は姉のみすずのよき理解者で、姉から託された作品をたくさん持っていました。
そしてふたたびみすずの詩が世の中に出るようになりました。

今回はじっくり生い立ちを知ることができて
あらたな横顔も見ることができたように思います。
それとあわせて、各界著名人60余人の方々の
みすずの一番好きな詩とそこに寄せる想いが書かれてたことが
見ごたえがありました。
ふぅちゃんと呼んで慈しんだお嬢さんのふさえさんもご健在で
好きな詩と言葉をよせていました。

金子みすずの詩の魅力というと、子供のような無垢な目で
ふだん見落としてしまっていることや、
見えないものを慈しむ気持ち、
人があたりまえだと一蹴してしまうようなことを不思議だと感じる感受性なのだと思います。

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でもたぶん、ふだんあたりまえに生きている時には
誰しもそんなささやかなことに気持ちを寄せたり、
みんな違ってみんないいことはわかっていても、
それとは矛盾した生活をしているもの。

バラの鉢に生えてきた雑草は引っこ抜くし、
みんなと違う存在でありたいと思いながら
みんなと同じことをしていれば安心という気持ちもあります。
でもそんな矛盾はきっとみすず自身が感じていた、
だからこそ生まれた歌もいっぱいあったのではないかと、
ことに晩年のみすずは、そんないっぱいの矛盾や哀しみをかかえながら
葛藤していたのではないかと思えるのです。
みすずには、愛らしくて、微笑ましい詩とともに
どきんとするような詩もたくさんあります。
人はそんなきれいごとばかりじゃ生きていけないのだね、
でもそんな矛盾を知ること、知ったうえで命を慈しむこと、
そして、みんなが口をそろえて、あたりまえだよと言うことを不思議だと思うこと
なぜ?と思うことをやめないことが大切だよと言っているように思います。

雀のかあさん

子供が
子雀
つかまえた。

その子の
かあさん
笑ってた。

雀の
かあさん
それみてた。

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。


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金子みすずの育ったところは、山口県の仙崎という天然の港と豊かな漁場に恵まれた
古くからの漁師町でした。
ここでは以前はよく捕鯨もされたらしく、
珍しいことに獲ったクジラの位牌や戒名まであるというのです。
そしてクジラ漁のすたれてしまった今も
春の終わりには「鯨法会」という鯨の回向が行われています。

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚とれるころ。

浜のお寺で鳴るかねが、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師がはおり着て、
浜のお寺へいそぐとき・・

「鯨法会」より抜粋

こんな様子にもうかがえるように、
この一帯は、古くから信仰が篤い場所、
浄土宗の信仰が深く生活に根付いていたところだったようで、
海の幸をいただきながら栄えた町としての繁栄とともに、
その裏で生きているものを殺すという哀しみを感じる気持ちが
風土とともに根付いていた場所だったようです。

ここで育ったみすずには、きっと小さな頃からそんなふうに
命を慈しみ感謝する気持ちが自然に身につき、
そこに感受性豊かな本来の性質があいまって
いくつもの詩を生み出す泉のようになっていたのだと思うと、
色々なことに納得がいくのです。

王子山という詩には、
みすずの愛したこの町のことが書かれています。

木の間に光る銀の海、
わたしの町はそのなかに、
龍宮みたいにうかんでる。

銀のかわらと石がきと、
ゆめのようにも、かすんでる。

王子山から町見れば、
わたしは町がすきになる。

干鰮のにおいもここへは来ない、
わかい芽立ちの香がするばかり。


「王子山」より抜粋

みすずを育てた豊かな海に抱かれた町、仙崎。
北海道の増毛という漁師町で育った祖母のこととも重なり
いつか、この仙崎という町に旅してみたいと思っています。
by sarakosara | 2011-02-18 11:53 | ぶらさら子 | Comments(22)

やめられないとまらない

暮れから始まった父の大学病院の口腔外科通いが今日で終了しました。
もう大丈夫ですよの先生の言葉に、ほっ。
診察を終えてから、父とコーヒーで乾杯、
やっと卒業だね、と言ったら、仰げば尊しを口ずさみ始めた父、
気さくで豪快な担当の先生ともお別れです。
そういえば、卒業のシーズンももうじきですね。

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3時過ぎに帰ってきてから、
とりかかろうかなと、ありあわせの布だけ準備していた久々の手仕事。
チャコペンシルもカッターでトキトキにしてね。

とりかかるまでが長いのだけど
いざ始めたらやめられない止まらない。
片付けもしかり、何によらず、よいしょっと、重い腰をあげるまでが長く、
やり始めたら没頭してしまう。
私一人なら一食くらいパスしても仕上げたい気分だけど、そうもいかないしね。

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ところでトキトキって、言葉知っていますか?
名古屋の方言で鉛筆をぴんぴんに尖らすことを言うようで
名古屋出身の友達に教えてもらってから、私も愛用の言葉です。
この頃はシャープペンシルが便利で
めったなことでは鉛筆を削らなくなったけれど
カッターできれいに削れた時はなんとなくいい気分です。
by sarakosara | 2011-02-16 18:05 | 好きなこと | Comments(10)

アップルパイ

今日はバレンタインデー。
いつ頃からこの日がメジャーになったのか憶えていないのですが
私が小学生の頃にはまだ無かったような。
記憶に残るはじめてのバレンタインデーは専門学校に行った一年の冬の19歳の時でした。

当時つきあっていたボーイフレンドは、同じ専門学校の友達ではなくて
友達から紹介された工業系の大学の同い歳の男の子。
私にとっては初めての恋心に夢中だった頃。
前年の秋から二年生になる春頃までの短い間だったけれど
寒い冬に重ねたデートは楽しくて楽しくてしかたありませんでした。

そして思い入れいっぱいにバレンタインデーに作ったのが、
なぜかチョコレートではなくてアップルパイ。
中学生の頃から少しずつ作り始めたお菓子だったけれど、
実はこのアップルパイには少しばかり自信があったのです。

最初にアップルパイの作り方を覚えたきかっけは
母の仕事のお友達だったおばさんのお母さま。
そのおばあちゃんの作るアップルパイが絶品だったのです、
時々母がいただいて帰ってくるのが楽しみで
いつかそれは、自分で作ってみたいという思いに変わっていきました。

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当時の我が家の台所は東側に窓はあったけれど、北向きの部屋。
木造平屋の家屋のたてつけは悪くて、すきま風は入るし
冬の朝は勝手口のガラス窓に氷の花がきれいに咲くほど冷え込んで。
母や祖母が料理をする時は、その湯気や熱気でだんだん部屋は暖まったけれど
日中でも我が家では一番寒い場所でした。

ただ、ことアップルパイ作りに関していえば、こんな部屋が最適。
パイ生地を作る時、バターを何層にも重ねて織り込んでいくために
バターが溶けないように気を遣わなくてならないのですが
この手もかじかむような寒い部屋ならそれが上手くいくのです。

仲良しの友達にも教えてと頼まれ
この日も寒い台所で一緒にアップルパイを作りました。
売り物のように分厚いパイ生地にはならなかったものの
甘酸っぱい紅玉の煮りんごがバターの風味のパイと絶妙にあって
自分でもなかなかのできばえだったと思います。
二人できれいにラッピングして、それぞれ夕方からデートに行きました。
楽しかったなあ。

翌日は彼から電話があって、すっごく美味しいと。
母親や兄貴から少し欲しいと言われたけれど、
ぜんぶ自分で食べるからだめだって言ったんだと。
しばらく長話をして、父に小言を言われたようなおぼえがあります。

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甘ずっぱいアップルパイの思い出も遠い日。
すっかり暖かくなった我が家の台所を言い訳にもうずっと作ってないなあ。
あの頃はアップルパイを作るだけで見栄えは二の次、
美味しい、美味しいって食べてもらえたけれど
おしゃれで口もとろけそうなお菓子やケーキも簡単に手に入るようになった今は
女の子のお菓子作りのハードルもあがってしまったかもしれませんね。
寅さんは甘いものがあまり得意じゃないので、今夜は日本酒の小瓶のプレゼントです。
by sarakosara | 2011-02-14 10:01 | さら子の皿 | Comments(12)

春のひかり

あわてんぼうの小さな天使ちゃん、誕生おめでとう!
新米ママも新米ばぁばもしばらく忙しいね、みんなからだに気をつけて。
ちょっと気の早い桜だけど、私もこんな気分です。

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はんとうの桜の季節が来る頃には、お散歩に出られるかな。
どうぞ健やかに。
by sarakosara | 2011-02-14 10:00 | 想う

ある文庫本の中

今朝方見た夢。
印象的だったので、忘れないうちに。

私は本屋で本をみていました。
文庫本の棚で特別なあてもなく、本をとっては返し、とっては返し。
と、背表紙に「あの時の空」という本があって、
ぱらぱらとめくってみると
それはモノクロの写真と一緒に、作者が自分の思い出を語っているものでした。
なんとなく心ひかれて、立ち読み。
中にわりと我が家から近い地名の場所があり、
川沿いのベンチに寝転がって見た空と、
そこからどう繋がっているのか、その人が子供だった頃の思い出が書かれていました。
題名は「人生最高の夏だった」
書かれていたのは、その人が子供の頃過ごしたある夏休みの日のこと。

そこは切通しのようになった坂道、
その向こうには青い海。
いつの間にか文章や写真が映像になって
そしていつのまにか、私もそこで一緒に歩いているような感じ。

お父さんらしい男の人とお姉ちゃんだと思われる女の子、
そして子供の頃の著者であろう男の子。
海水浴の帰り道らしい。
みんな心地いい疲れが顔に出て、でも幸せそう。
ポツポツとおしゃべりしながらの帰り道なのだろう、
何か話しながら、女の子が、「ねぇ、お母さん」と、振り返ると
そこにいたのは別の家族の母親でした。

女の子は、顔を赤らめて、間違えてしまいました、というように少し会釈しながら
あれ?お母さんは?というように後ろを目で探す。
お父さんと、男の子も一緒に後ろを振り向く。

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すると、遠く坂の下、海の方からお母さんが駆けて来るのが見えた。
ふっくらと太っているけれど、
スカーフで髪をたばね、日焼けした顔には健康そうな、はじけんばかりの笑顔。
最初に空をみて寝転んでいた男の人によく似てる、美しい人だなあと思いました。
家族の顔もパッと明るくなります。
お母さん、後ろにいると思ったのにどうしちゃったのよ~と、女の子。
ごめん、ごめん、と手を振っている。

母親の後ろに見える海が、きらきらと輝いてみえる。
一緒にいる私も、その人の思い出の中で、一緒に幸せな気持ちになった。

ただ、そんな夢。
目覚める直前だったので、起きてよくおぼえていました。
なのですぐキーワードだけメモしておいた夢。
by sarakosara | 2011-02-14 08:37 |

二月の約束

関東地方は昨日、夜来の雨がふって、朝は小雪がちらつき、
晴れまがのぞき始めても水蒸気がいっぱいの雲が浮かんで
ひさびさにほっとひと息つけました。

つい先日も少しだけ夜に雨が降ったのですが
その翌日の月曜日
毎年一度きまってこの時期にお参りするところがあって
いつもつきあってくれる友人と一緒にでかけてきました。
午前中は風が強かったけれど、お日さまはぽかぽか、
いつもの梅はまだ二分咲きくらいでしたが
光をあつめて、あたたかな色に咲いていました。

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一月の末頃になると、
二月の初め、大丈夫?って電話をします。
もう何年も一緒にでかけているから用件は暗黙の了解、
うん、大丈夫だよと、友達。
たいがい彼女の仕事が午前中であがる月曜日か火曜日にでかけます。

一緒に行ってくれるのは、専門学校の時からの友達のきぬちゃん。
みっつ年上の彼女とは
お互いに就職してからもちょくちょく会ってはあちこち遊びまわりました。
学費をためるために高校卒業後いったん仕事をしていた彼女だったので
はじめて会った頃は、高校出たての私にはすごく大人びて見え、
奔放な性格も手伝ってか、何か秘密めいていて、
実際彼女の方も私達のことを、ふん、子供ねっ、という目で見ていたように思います。

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そんなきぬちゃんとは、お互い社会人になってから
むしろぐっと仲良くなりました。
ふたりともどちらかというとブレーキがきかない性格だったから、
一緒にいると火に油状態の若い頃もありました。
よく一緒にのみに行きました。
上野や新橋でおじさん達にまざって飲んだ後
酔いつぶれてしまった私、
気がついたら堀切にあった彼女の部屋だったこともありました。
夜中に父に電話してこっぴどく叱られ、
引っ張ってくるの大変だったんだから、ときぬちゃんに笑われ。
翌朝は美味しいうどんを作ってくれたのをおぼえています。

金沢、福島、京都、沖縄・・近場もあちこち、二人でよく旅行もしました。
季節ごとに、今度はどこにする?と相談したもの。
私もよく一人旅をしたけれど、きぬちゃんも一人旅の達人、
一緒に歩いていても、互いをしばることもなかったし、気が楽だった。
好きな小説や音楽も似ていて、書くことも好き。
そんなところも互いをひきつける共通点だったのかもしれません。
何でも言い合える仲だったから、時々わがままがでて
旅先で喧嘩をしたこともあったけれど、それもいい思い出。

恋の話も互いにどれだけしたことか。
彼女がある恋で、たびたび傷ついてしまったことがあり、
相手の男性を呼び出して、
これ以上傷つけたら私が許さないとどなりつけたこともありました。
みすみす傷ついていく彼女のことを黙ってみていられなかった。
紆余曲折の末、きぬちゃんはその人と結ばれましたが
寅さんの台詞じゃないけれど、思い起こせば恥ずかしきことの数々。
先走ったり、暴走したり、無思慮で未熟だったけれど
不器用にぶつかりながらも誰もが若さの真っ只中にいました。

母がなくなった時にも精神的に色々ささえてくれたきぬちゃんは、
一人っ子だった私にとって
奔放で少しあぶなっかしい、でもいざと言う時は頼れる姉のような存在でした。
私の結婚式には着物の着付けが遅れたと、披露宴の途中で飛び込んできて
誰よりいちばんボロボロ泣いて、誰より目だっていました。

そんな若い日々から30年近く。
今も彼女は私にとって、変わらぬ存在です。
いつかは実家に帰って農業をするというのが彼女の夢。
そばにいなくなってしまうのは寂しいけれど
私も時々手伝いに行くから、帰りは野菜をどっさりちょうだいねと言っています。

お参りがすんでから、ぶらぶら散歩がてら歩いて
今日のお昼に行きたかったところがあるんだと、連れていったのがここ。
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新橋は毎日通勤した懐かしい場所だし、
リリーさんの思い出のビーフンがとっても美味しそうだったから。
五目もどんなだろうと思って、
頼んだのは、汁ビーフンの五目と、ばぁちゃん、じゃなかったバーツァン(笑)
バーツァンとは、肉入りちまきのことで、ここのお店のものはちょっと大きめなので
二人で半分にしてもらって食べました。

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ビーフンはあっさり、ちまきはこっくりとコクがあって、取り合わせが抜群。
お昼時のこの店はサラリーマンやOLさんが入れ替わり立ち代り。
知る人ぞ知る人気店なのでしょう。

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私達はカウンターに並んで、きぬちゃんの台湾旅行の思い出などききながら
美味しいくいただきました。
二人がばぁちゃんになっても、二月の約束が続けられますように。
by sarakosara | 2011-02-10 11:27 | ぶらさら子 | Comments(14)