滝野川から王子へ

先週の三連休初日
久しぶりにお天気が良さそうだったので
急に思い立ち、寅さんと、近場散歩へ。
10分ほど電車にのって板橋の駅から王寺をめざすことに。
駅のすぐ前にある「新選組隊長近藤勇墓所」へ
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ゆっくり見ようと思うものの
蒸し暑い日だったので、スカートででかけたのがアダになり
何カ所も蚊に刺されて散々。
気もそぞろで近藤さんも苦笑いなさっていたかもしれない。

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きつね塚通りを歩く頃から
お祭りの気配が。
大きな通りに出ると、案の定御神輿の列。
ちょうど八幡様の御祭礼の日にあたっていたようで
路地路地に、ハッピ姿が行き交い
町中が活気にあふれている。

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止めてあった一台の神輿太鼓。
昭和三十三年九月吉日と記されており
私が生まれたての頃
その年のお祭りにむけて新調されたものなのだろう。
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そういえば、私が生まれたのは東京の板橋。
ここからほど近い場所であったことも思い出し
あなたも同じ頃ここで誕生したのねと、よりいっそうの親近感。

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そこからキバナコスモス揺れる川沿いの遊歩道へ。
桜の葉がかさこそ散ってくるのは
今年の長雨のせいかしら、
まだ落葉に早いはず
春は桜がみごとなのだろう。
鬱蒼とした小道もあって、都会の中にいるのを忘れてしまいそう。

やがて音無橋、ゴールの王子。

橋の下には、音無親水公園という小さな流れがあり
子ども達が水遊びをしたり
橋の下のひんやりとした石の上に腰掛けて読書する人など
ちょっとしたオアシスの雰囲気。

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私たちも流れ沿いの石に腰掛け
買ってきたカップアイスを半分こ。

流れの向いに
6歳くらいの女の子とおばあちゃん。
水に入ってもいい?と
もうスニーカーを脱ぎ始めている女の子に
あらら、という顔のおばあちゃんだったけど
気をつけてねとうなづいた。

アイスを食べる私たちのほうをちらっと見て
目が合うと、にこっと笑ってくれた。

苔のはえた石もあるのに
ひょいひょいと、歩いては
石の上に飛び乗ったり。
滑りやしないかと、はらはら。
そばで見るおばあちゃんと一緒。
しばらく、可愛いねぇと楽しませてもらった。

ここの少し先に
名主の滝という場所があって
母の友達がすぐそばに住んでいたことがあった。
たぶん、この女の子と同じ年頃だったはずの夏の日
母と、そのおばさんと三人で遊びに行き
私はスリップひとつになって
水に入って遊んだ記憶がある。

そのことを思い出したので
帰りに一足のばして、名主の滝公演にも寄ってみたのだが
もう閉園間近、肝心の滝も水がなくて
私の記憶の風景はそこになかった。
友達も書いていたけれど
思い出とは、案外そんなものなのかもしれない。
なんという名だろう
紫の小さな花とオレンジの花がたくさん咲いていた。

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ここから、もう少し歩いて
お疲れさまのいっぱいは
十条銀座の香港亭。
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飛び込みだったけれど、大当たり。
小皿料理がほんとうに美味しくて
ひっきりなしにお客さんが途絶えないのも
安くて美味しい証拠だと思う。

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最後に桂花陳酒。
白ワインに金木犀を漬け込んで熟成させた果実酒
とても良い香りがする。

金木犀が香りだすのも、もうじきだろう。


# by sarakosara | 2016-09-25 17:07 | ぶらさら子

大切な人

秋風がふいている。
そんな夕暮れは
ちょっと人恋しくなる。

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先週の日曜日
我が家に、ミコの大切な人がきた。
寅さんと私も家中を掃除して
ドキドキ待っていたけれど
Y君はその何倍も緊張していたらしい。

おもてなし料理を色々検索してみたものの
やっぱり作り慣れた自信のもてる味だと結論。
ちらし寿司に茶碗蒸し、鯛の昆布ジメ
友達が送ってくれた増毛のタコのマリネ。
揚げたてコロッケ。
美味しくな〜れと、心をこめた。

食事をしながら
お互いのあれこれを話し
なごんだ空気が流れ出した頃
ちょっとY君にきいてみた。

ミコって少し変わっているでしょう?
は?と怪訝な顔の彼
う〜ん、変わっているというか、
今時の女の子と少し違うでしょう?

ああ。それか、というように笑うY君。
そういう意味なら、僕も少し変わってますから。
ミコと目を合わせて笑っている。

最近は料理も上手に作るようになったのよ。
うちに来て作ってくれると手際もよくなって。
はい、めちゃ、美味しいですよね。
あ、もう食べたの?
それは、ごちそうさまでした。

まだ、これからのふたり
でも、互いを大切だと思えること
私たち以外に
ミコのことを大切に思ってくれる人がいることは
心強く、あたたかい。

具体的な話はまだないけれど
とても幸せな一日だった。
急かさず、ふたりの機の熟す時を待とうと思う。





# by sarakosara | 2016-09-12 21:09 | 家族のこと

祖父の記録

いつの間にかひとつ前の更新からひと月。
ミコもお盆休みに三日ほど帰ってきたり
スマがまた一週間休みがもらえたと
青春18切符でもどり
しばらく我が家も賑やかだった。

そして私はまたひとつ歳を重ね
8月最後のお楽しみの、
a-nation island & stadium fes. 2016は雨の中、
アリーナだったので、カッパを着て楽しんできた。

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そんな間も何度も台風が
日本列島を通り過ぎて
東北、北海道の豪雨。
いまだかつて経験のないような
という言葉がニュースで何度も流れ
これからも未だかつてないようなことが続くのだろうかと
貘とした不安を感じることがある。


7月の末に祖母のことを書いて
それから間もなく、
月遅れのお盆の支度をしている時に
父の仏壇の下の引き出しをあけてみた。
なぜか引き寄せられるように
見覚えのある少し大きめの菓子の缶を開くと
中に祖母の旅行写真などと一緒に
一冊のぼろぼろの冊子をみつけた。

開いてみると祖父のものと思われ
昭和10年の北海道静内町の
凶作の概況と記されている。

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綿密な気温の記録、
風雨水害、冷害のひどい年だったらしく
写真とともにまとめられ
数年来の農村の疲弊困憊を何とか救済すべく
声明書として締めくくられている。

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昭和初期の北海道の農業と
その指導に一生懸命取り組んだ人だと
祖母からきいている。
会ったこともない遠い存在だけれど
子どもの頃から、
どこか、大好きな宮沢賢治と重なってみえることがあった。

幼なかった母の手をひいて
教会に通ったり
クリスマスにはサンタクロースに扮して
母を喜ばせてくれたという。
温厚でめったに大きな声を出すことはなかったが
大きな地震で津波がくると騒ぎになった時は
冷静に行動し
臍に力をいれて泣くんじゃないと叱られたことを
母はよく憶えていると言っていた。

この冊子をまとめた二年後
働き盛りの40代に結核で他界した祖父。
なんで今まで、この冊子に気づかなかったのか
不思議と言えば不思議なことだけれど
農業に携わる人と、自然との過酷な共存は
昨日今日始まったことでないのだとあらためて想った。

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大地の恵みにあふれる季節を迎える秋
なぜその実りの季節は台風の季節なのだろうと
自然界の皮肉にため息し
時に燦々と、時に激しく変化する自然と向きあいながらの収穫
幾度もめげず立ち上がってきた人たちのことを忘れず
ありがたくいただくことを忘れないでいたい。
# by sarakosara | 2016-09-11 18:11 | 家族のこと

花火

まだ暮れ残る空に、ドドーンと花火。
我が家の屋上からの花火は絶品。
寅さんとふたり、デッキチェアなんて洒落たものではないけれど
ひまわり柄の布張り、年季の入った折りたたみ椅子をだして
ビールで乾杯。
先日の土曜日のこと。

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ここからの花火がいちばんだね。
一年、早いねぇ。

いつも出るのは同じせりふだけど
一緒に見ていた家族は
ひとり減り、ふたり減り
今年の花火は寅さんとふたり。

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と思っていたら
階段をタタタンと駆け上がってくる音。
スマだ。

帰るとはきいていたけれど
花火は別にいいや
適当に帰るからカレーだけ作っておいてと言っていたのに
やっぱり僕も見ようかな、だって。

ふたりのおつまみの分け前は減ったけれど
久しぶりの弾丸トーク、笑顔にほっとする。
大学院生活も多難な漕ぎだしで
色々心配していたのに
いつの間にか人間関係が好調に回りだしたようだし
研究も四苦八苦ながら
私から見れば明るい兆しがみえるように思われる。

気を揉んでいたのは私ばかりだったの?と
肩すかしをくったような
でも、心身ともに、少しまた成長した姿に肩をなでおろす。

二日目は、リクエストの野菜料理を
これでもかという量を作り、
それをぺろっと食べ、二泊だけして慌ただしく帰っていったスマ。

このあいだ、ミコが友達との旅行の帰りに
スマのところへ一泊したようだ。
大人になって姉弟仲が良いのも嬉しいこと。

来年の花火の時は
どんな報告があるのだろう。
私たちは楽しみに待つのみ
もうあまり気をもまず、待ってみようと思う。
# by sarakosara | 2016-08-11 15:18 | 家族のこと

おめでとう、イチロー

オリンピックも連日嬉しい報せがあって
悲喜こもごものアスリート達の笑顔や
悔しい表情に、こちらも一喜一憂。
特に団体戦のメダルはその連帯感ゆえの感動もひとしお。
その満面の笑みにこちらも泣き笑い。
感動がいっぱいです。

実はスマの幼なじみのY君の従兄弟が
ある個人種目で出場していて
残念ながら二回戦で敗退しました。
私もY君ママからきいて、
一回戦突破の時におめでとうメールをしていたのですが
二回戦を終えてから返信があり
完敗だったけれど、今までで一番強い相手だったし
精一杯やったので悔いはないと連絡があったよと。
リオから帰ったら寄るって言っていたから
いっぱいご馳走作って労ってやらなくちゃと、返ってきました。

そんなリオオリンピック最中で
例年よりも報道がかすんでしまっているけれど
高校球児も暑い夏をがんばっているし
そして、忘れてならないのが
大リーグ通算3000本安打を達成したイチロー。

140年に及ぶ大リーグの歴史でイチロー選手が30人目。
ほんとうにすごい記録だと思います。

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オリンピックの報道にわく中
そしてホームグラウンドではなかった中だったけれど
素晴らしい快挙。

こつこつと、一歩ずつ
その一歩をけして疎かにしないイチロー。
大リーグ、いってみれば最初はアウェイの中での実績作りだったことでしょう。

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年齢を重ねながら、きついと思う日もあったかもしれない
先発できない中、
若くないイチローには代打でヒットを打つのは至難の技だったかもしれない。
それでも大記録をやってのけた。

かつてのチームメイト、ヤンキースのアレックス・ロドリゲス選手も
野球に情熱と愛情をもって
どんな時でも同じ姿勢で絶えず一貫していたと讃えていた。

ベンチでこぼれた涙。
オリンピックで輝くアスリートにも
イチローの嬉しい一報は、きっと大きな励ましの報せになったと思うし
またイチローもオリンピックの選手達に
目を細めているかもしれない。

暑い夏の嬉しい一報になしました。
# by sarakosara | 2016-08-11 15:03 | 想う

増毛(ましけ)の少女

増毛とは、北海道北西部の日本海に面した町の名前。
母方の祖母が生まれ育った町だ。
そこで鰊漁を生業としていた網元の三女に生まれた祖母。

人が多く行き来し、活気あふれる漁師町。
その頃の昔話が好きで
そんな話をする祖母の顔は穏やかに良き時代を懐かしんでいるようだった。
華やかで豊かで穏やかな少女時代と
それとは対照的なその後の日々。

姉妹との決別、若くしての夫との死別
親兄弟に頼ることなく
養女だった私の母を女手一つで育て上げたことは
当時の女性にとっては並大抵のことではなかったと思う。

祖母が生まれた町をいつか訪ねたいと思うようになったのは
いつ頃からだったろう。
実際には私のルーツはそこにない、
母の実の母親はまったく違う人であり
親類縁者でもなかったので、増毛に私の身体を形作るものはなかったのだから。

しかし、私の心を形作ってきたもののルーツは
確かにそこにあると思った。
母を早くなくしたことで、よりいっそうその地への思いが
深まったようにも、思う。
私から母、母から祖母へ繋がる何か。
それを確かめたいとう思いが叶ったのが6年前のこと。
どうしても雪深い頃に一人で行きたかった。

今年初めての鰊船が出たよと
灯台への道を訊ねたおばさんが教えてくれた。
いくつかの、
祖母が導いてくれたかのような出逢いもあった。
思い出深い旅。
海が見える。

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正直いって、10代の頃
祖母を疎ましく思うことがあった。
祖母と父がささいなことでもめ、中に入った母と父が喧嘩になる。
そんな日々の繰り返し。
祖母がいなければ、家庭が平和になるだろう
母もどんなにか気持ちが楽になるだろうにと思った。

また、祖母は私を溺愛してくれたけれど
正直祖母といて、心から安らいだことや
心底甘えるということも
あまりなかったと思う。
気性の激しさに翻弄されたからなのか
多感な思春期に知った血のつながりが無いということ
これがそういうことなのか、と思ったことさえあった。

しかし、母が亡くなったあと
祖母には私しかいないと自覚したときから
全力で祖母を守ろうという気持ちが芽生えた。
そして、それこそが母が祖母へ抱いてきた気持ちだろうと。

それから数十年をへた今、
祖母から受け継いだものの多さにあらためて気づく。
そしてどんなに愛されていたかということ
私も同じように思っていたのだということも。

昔語りをする祖母は穏やかで好きだった。

「お昼になると、出稼ぎで働くヤン衆を
 呼び板を力一杯叩いて呼ぶのが、おばあちゃんの役目だったの
 隣の漁場でも大きな声で呼ぶからね、それに負けにように大きな声で呼んだのよ」

姉や妹にはさまれた三女
元気のよい少女だったのだろう。
その少女が愛おしい。

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今日は祖母の祥月命日。
昼からザッと急にどしゃぶりの雨だったかと思うと
青空と夏雲と太陽が顔を出す。
私が10代の少女だった頃の祖母にちょっと似ている。
# by sarakosara | 2016-07-31 17:06 | 家族のこと