人気ブログランキング | 話題のタグを見る

さっこちゃんの桜

咲子さん、2005年4月12日の記事からの抜粋。

桜という花はそんなに好きとも思わないけれど、期間が短いから気が急いて毎年きちんと見に行くので節目を感じる。行けないなら行かないままで、惜しいこともないのだけれど、見れば背筋がしゃんとする。初詣より、よほど気持ちが正される気がします。ずっと学校暦で暮らしているからかしらとも思っていたけれど、そうじゃないことに今回気づいた。

私は季節の移ろいというものを自覚したのが、桜の木の下でだったのです。もっと簡単にいうと、時間の流れが存在することに初めて気づいた瞬間ということだけど。


さっこちゃんの桜_f0231393_11141966.jpg

それから、小さな頃、一緒に暮らしていた祖母と
毎年桜の頃になると家の裏山の桜の下にござを敷いて
よくお昼ご飯を食べたことが書かれている。

ある日いつものように食事が終わっておばあちゃんがお茶を注いでくれている時に私がふと立ち上がったら、丘の下から私の足下に向かって大きくぶわりと風が吹いて、あたり一面に桜の花びらが舞い上がった。それはもう視界一面が薄ピンク色に染まる花の風。
そして風が消えて花びらの大群がゆっくり地面に降りていった時に、私は去年も桜を見たことを理解した。同じピンクを。正確にいうと、去年もその前の年にも桜が咲いたことがわかった。そしてそれが散って、葉桜になって、赤い実が成って、葉が落ちて、枝だけになった桜の木に雪が積もること。その枝が芽吹いて花の季節が来ること。それが何度も何度も何度も繰り返されて、自分が見ているのはその流れの中のほんの一部だということも(さすがに自分が死んだあとのことにまでは思いが及ばなかったけれど)。
中略
その時は時間とか空間とか意識という言葉を語彙として持っていないから、それはもう感覚としか言いようがない。今その時の感覚を思い出して言葉に直したらこういうふうになるけれど、正確にはやはり置き換えられなくて、よくわからない文章になったけれど、とにかくそういうことがありました。ということを今年の桜の下で花を見上げて思い出したんだった。



そのことに初めて、本人いわく、ぽんと気づいた桜が彼女の最後の桜になった。
その年の秋、まだ桜の葉が色づく前に、悲しい事故に遭遇した。
今のミコとちょうど同じ24歳になって間もなくのことだった。

さっこちゃんの桜_f0231393_11222913.jpg

巻末にお母さんが書かれた言葉があった。
しっかりものの咲子さんは、二人の弟の面倒をそれはよく見てくれてこと、
ずっと仕事を持っていた自分よりもはるかに弟たちにかかわり様子を見てくれた。
まだ幼いにもかかわらず、それはずっと年上のお姉さんであり、自分はそんな咲子を抱きしめることもわがままを言わせることも忘れてしまったと。
咲子はしだいに何でも自分で決めて自分でやっていく子に育ってしまった、それをまた自分は自立したスマートな娘と思い込んでいた。
けれど咲子はいつもさみしかった「どうして私にやさしくしてくれなかったの」と、大学生になってぽつりとこぼしたことがある。
と、書かれている。
お母さんの後悔と胸の内、涙がこぼれる。

ブログの記事の中には明るいお母さんのことも書かれている。
二人の弟のことも出てくる。
彼女の後を追うように上京して同じ大学に進んだ上の弟、
壮平君のことは度々出てくる。

渋谷にて弟のライブを観る。なんちゅうか、かわいい。素直な子やなあ‥と思う。そして色々試したい年頃なのだろうなと。私はギターが弾けないのでアドバイスのしようもないんだけど。
歌に限っていうと上手でした。好き嫌いはあるだろうが伸びがあって良い声をしてると思う。酒や煙草でつぶすなよ。


また、壮平君もお姉さんのことをいくつかの歌の中に書き、歌っている。
まだお姉さんのことを知る前から、
壮平君の歌詞には素朴なロックの心地よさの中に、
どことなく無常観のようなものがあるなあと感じていたのだけど
後にお姉さんの悲しい事故のことを知り、あ、そうだったのかと、
勝手な思い込みかもしれないけれど、すとんと腑に落ちるところがあった。

でも不思議と哀しみや無常観だけではない光、
かならず救いがある、そしてやさしい。
一見なげやりみたいでいながら、大丈夫だよと言ってくれる。
それは痛みを知ったものだけが持てるやさしさのようなもの。
咲子さんの書く文章からも感じられる、
希望をもって、えいやっと飛び出す力。
壮平君も、咲子さんから受け取ったそんな希望を歌いたいのかなと思う。

読み物としての読み応えがどれくらいあるかといえば
それは読み手によって違うだろう。
もともと読み物として書かれたわけでもないし、
ブログの記事を本にされて、彼女がどう思っているのかも今となってはわからない。
でも、いずれは出版の仕事、
あるいは書くことに携わっていきたいと考えていた彼女の意思を
こんな形で残したいとのご家族の思いだったのだろう。
作り事ではない日々の言葉がまっすぐ届く。

咲子さんが、友達のいる信州でラベンダーの花摘みを手伝う最後の夏。
親友のお母さんから、さっこちゃんと呼ばれて
家族一同と楽しい夏のひとときを過ごした様子が書かれている。

さっこちゃんの桜_f0231393_11154290.jpg

ほんと、「さっこちゃん」と、私も呼びたくなるような
そんな女の子。
迷いながらもこれからの夢や希望をかたり、社会を考え、恋もし、
勉強もし、旅もし、憤り、泣き、笑い
駆け抜けていった、さっこちゃん。
よく、太く短く生きたなんて言葉があるけれど、
さっこちゃんが長生きしていたとしても、太く生きていたのだろうなと思う。
私の住む町の桜は、もうそろそろ葉桜だ。
by sarakosara | 2012-04-14 23:51 | 読んで思ったこと

遠きにありて思ふもの


by sarakosara