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花かご

リリーさんのところで、バラの花びらを見ていて思い出したことがある。
かごに入った花びらが呼び覚ましてくれた記憶。

私はカトリックのミッションスクールに通っていた。
幼稚園から短大までひとつの敷地にあって、
そこには孤児院や修道院もあり、
私はそこで小学校から高校までの12年間を過ごした。
戦時中は兵舎だった建物を校舎に使い、サレジアン・シスターズが立ち上げた学園。
その校舎を私たちは明治記念館と揶揄したけれど、
ほんとうは愛していた。
質素で穏やかな雰囲気の中、大切に育てられたと思う。

そこでは毎年5月に聖母マリアさまを祝してお祭りがあった。
お祭と言っても、それはロザリオを手に天使祝詞を唱えながら、
また合間に聖歌を歌いながら
御輿に飾られたマリアさまを先頭に学園中を行列して歩くことだった。

幼稚園児と小学校一年生はみんな天使の姿をさせてもらえる。
背中に羽をつけて、頭に銀色の輪をかぶり、
ピンク、水色、白の色に別れた裾の長い服を着ることができる。

そしてもうひとつ女の子たちが憧れるのが
小学校6年生で一度だけなれる、花撒き少女。
この花撒き少女は、6年生の女の子全員がなれるわけではない。
ちょうど背格好の似通った中肉中背の女の子が信者の子を含めて20名くらい。
容姿よりも背格好、
並んで歩いた時にきれいだということが優先で選ばれる。
幸運にも私はその中の一人に選ばれて舞い上がった。

花撒き少女になると、可愛い衣装を着ることができる。
真っ白なくるぶしまであるドレス、
ウェストはサッシュでしばり、ペチコートをつけたスカートはふんわり。
手にも白い手袋、白いベールに白い花のついた冠。
そして何よりお祭のクライマックスに
持って行列した花かごいっぱいの花びらを
マリアさまの御輿にむけて撒き散らす。
低学年の頃から、ああ、きれいだな、
私もあんな可愛い姿をしてあそこで花びらを撒いてみたい
ずっとそう思ってきた、花撒き少女。

そんな憧れの少女になれる当日。
早くから修道院のサローネという広間で着替えを済ませ
大きな木箱いっぱいに入ったバラやその他の花々の花びらを
自分の手かごにいっぱい入れて準備をする時、
ひとりの子が、物知り顔でこう言った。
この花の匂いを嗅いじゃいけないんだよ、
だから花を入れる時は、匂いを嗅がないようにねって。
何を根拠にそんな話をしたのかは知らないけれど、
その言葉をよくおぼえている。
たぶん真に受けた自分は息をころして花びらを手かごに入れたのではないかと思う。

花かご_f0231393_14244337.jpg

こんなに楽しみに迎えたこの日
結局、私は憧れのクライマックスを迎えることができなかった。

何をかくそう、行列の途中から、
かんかん照りのせいか
それとも慣れない花冠にきついペチコートのせいか、気分が悪くなり途中リタイア。
それも自分からリタイアしたわけではない、
私としては必死に最後の花撒きを待っていた。
行列が終わってみんなが整列をし、神父さまのミサの終わり近く
あと、もうちょっと、あとちょっと頑張れば花を撒ける、
我慢だ、我慢だと必死にこらえていたのに、
駆け寄ってきたシスターに脇を抱えられて休憩所に連れていかれてしまった。
血の気のなくなった顔をして立っている私に気づき
この大切な場面で倒れてしまったら困ると思ったのだろう。
朝礼で気分が悪くなったことはおろか、
車酔いさえ一度もしたことがないのに、よりによって、この憧れの大切な日に。
救護所にいてもクライマックスを迎えた華やかな様子が伝わってくる。
ほんとうに情けなく、手元に残ったままの色とりどりの花びらが恨めしかった。

まだ無邪気だったそんな幼い小学生時代を終えて
それから中高6年間を過ごした母校。

こうして書いていたら、続きが書きたくなった。
by sarakosara | 2012-06-30 22:35 | 思い出小箱

遠きにありて思ふもの


by sarakosara